我ながらなんという嘘をついているのだろう。佳恵が冷や汗をかいていると、恵は驚いた表情で、
「犬伏くんに妹さんがいたなんて……!」
と、感動すらしている。
「生き別れってことは、きっと色々あったのね」
「えっと……」
「いいの! みなまで言わなくてもいい。いいのよ」
「スミマセン……」
恵は傷だらけの腕で佳恵の背中をポンと叩いた。
「そういうことなら、早く言ってくれればいいのに。ほら、看護師に伝えてあげるから」
「あ、ハイ」
後に引けなくなる佳恵。恵は軽やかな足取りでナースステーションへ行くと、中で日報をつけている看護師に声をかけた。
「ねぇ鈴木さーん。感動の再会、手伝ってあげてー」
……なんだか妙な展開になってしまった。
採光のための窓は天井の近くに一箇所だけ。今が朝なのか夜なのか、感覚がマヒしそうになる。時計もなければ、水道もない。咳き込めば、その音が無機質に反響するコンクリートの壁。
ここに入れられてから、食事もろくに摂っていない。食欲など湧くわけがない。同じ空間に便器があるのだから。これも、水を自分で流すことはできない。用を足した時に看護助手などを呼ばなければならないのだ。その度に小言を言われる。こんな屈辱を受けてまで、どうしてこんな場所にいるのだろう。
ただでさえ制限された自由が、ここではいよいよ失われている。そのことを誰に訴えることもできず、ただ時が過ぎるのを待っている。保護室という名の独房は、彼の抱える傷と孤独を助長させるのに充分だった。
ほら、やっぱり、自分はこんな場所にいるしかないんだ。だって、おかしいんだろ? おかしいから、排除されてしょうがないんだろ?
誰も、わかってくれないじゃないか。わかろうとも、しないじゃないか。
「クク……ッ」
おかしいのなら、笑うしかない。
「ハハハハ……」
これを独語だの空笑だのと診断したければ、勝手にすればいい。自分は、生きるのに精一杯なだけだ。
それこそ狂いでもしないと、本当に壊れてしまいそうだから。
わずかに射し込む日の光が、うっすらと彼の顔を浮かび上がらせる。淀んだ瞳が壁際の鉄格子を捕らえ、睨みつける。腕を伸ばして、その一つをがっしりと掴む。力を入れて握れば、ギシギシと冷たく軋む音がする。
……虚しさだけが、膨らんでいく。
「犬伏さん」
看護師に背後から声をかけられ、祐司は
「……はい」
振り返ることなく返事した。
「面会です。ご家族の方です」
祐司の顔がますます強張る。鉄格子を掴む手にますます力が入る。
――母親だろうか。冗談じゃない。
「帰ってもらってください」
「いいんですか? 妹さんですけど」
「妹?」
自分には、妹などいない。
「……」
だが、これは一時的にでもここから出られるチャンスと思い、祐司は「わかりました」と短く返事した。
重たい音がして、扉が開く。廊下の明かりが見えて、祐司はようやく少しだけの解放感を味わった。一歩一歩を踏みしめるように、祐司は「妹」のもとへと向かった。
やっと面会室が空いたらしく、佳恵はそこへ通された。丸テーブルと椅子が三脚。至ってシンプルな作りだ。壁には作業療法で患者が作ったらしい折り鶴やぬり絵が飾られている。習字も展示されていて、『夢と希望』の文字。ここに飾るには、なんだかちぐはぐなように佳恵には感じられた。デイルームは至って穏やかな雰囲気だった。あれだけ人がいるのに、静かすぎる印象すら覚えた。それを平和、と表現して果たしていいのだろうか。
佳恵が椅子に腰掛けてソワソワしていると、少ししてから扉が開いた。佳恵は反射的に立ち上がり、
「あの、突然すみません」
ぺこりと頭を下げた。裕司がやや疲れた表情で、「……何のご用ですか」とポツリと問う。
佳恵は、面会室の扉がきちんと閉まっていることを確認してから、丸メガネとウィッグを少し気にし、呼吸と髪型を整えてから、
「犬伏裕司さん、ですよね」
ぽかんとする裕司。ややあってから、「あ」と声を出した。
「あの、こころのケアセンターの人?」
佳恵は「しーっ、しーっ!」と口に人差し指をあてた。
「ここは、その、『生き別れの妹』ってことで」
「はい?」
佳恵は声を潜めた。
「一芝居、打ちます。ご協力ください」
そう言ってニコリと笑った。