「そんな恰好じゃ、ちょっと困りますよね」
ふと、タクシーの中で佳恵が言った。
「え?」
『そんな恰好』とは、保護室処遇のためのスウェットのことだろう。先刻までそこにいたのだから無理もない。
「駅前にショッピングセンターがあるんです。そこに行きましょう」
「え……」
タクシーを降りると、二人はショッピングセンター内のユニクロへ向かった。
「先輩、ここでいいですか」
「……」
「夜は冷えるだろうから、パーカーも買っておこうかな」
「あの……」
「プリントTは可愛すぎかなぁ」
それから、まるで着せ替え人形のように裕司に試着させる佳恵。「これかなぁ」「なんか違うなぁ」などと言いながら、あれやこれや洋服をとっかえひっかえしている。
「あのさ、ちょっと疲れたんだけど」
やっと裕司がそう訴えらえた時、それを聞いているのか聞いていないのか、佳恵は、手をポンと打った。
「これでいきましょう!」
「キャラメルフラペチーノください。あと、抹茶ティーラテも、トールで」
裕司は事態が呑み込めないまま、ユニクロで揃えた一式に身を包んでいた。佳恵はどこか楽しそうな表情すら浮かべて、スタバで注文をしている。
「あ、やっぱグランデにしてください」
佳恵の横顔を見ながら椅子に腰かけた裕司は、その姿に、鮮烈に高校時代を思い出さずにはいられなかった。
手足が、少しムズムズする。緊張からだろうか。それとも、薬の副作用だろうか。裕司はそれを落ち着かせるために、深呼吸して目を閉じた。
まぶたの裏に、あの日見た夜空が蘇る。望遠鏡を担いで、『すただす』のみんなで流れ星を追った。怖いものなど何もなかった、ただこの日々を失うこと以外は。
「部長、見てください! コレ持ってきたんです。みんなで食べましょう」
手づくりのクッキーを嬉しそうに差し出す少女。
「橋本さん、ありがとう」
裕司に礼を言われて、はにかむのは二年生の橋本沙織だ。
「おーい、みんな! 橋本さんが差し入れてくれたぞ」
すただすのメンバーは歓声を上げ、クッキーを持つ沙織の周囲にわらわらと集まる。
「花より団子、星よりクッキーだな」
裕司は苦笑する。
佳恵もまたクッキーを頬張りながら、笑顔になった。
「沙織ー、すっごく美味しいよ!」
「ありがと! 頑張った甲斐があったよ」
二年生の大野純子が天を指差した。
「あ! 二つ同時に流れた!」
「すげぇー」
感嘆するのは同じく二年生の山下圭太。その隣で手を組んで感動しているのは、一年生の佐鳥理恵だ。
「でもこれじゃ、望遠鏡いらなかったんじゃない?」
圭太が軽口を叩く。だが裕司はニカッと笑った。
「それは素人の発想だな。遠くを望む鏡と書いて望遠鏡だ。ほら、橋本さん、覗いてごらん」
ご指名されて、思わず赤面する沙織。
「ほら、ここからこの角度で見てみて」
図らずも指と指が触れ合う。沙織は小さく震えた。
「橋本さん?」
不思議がる裕司に、
「いえ、大丈夫です」
その様子を祈るような気持ちで見ていたのは、山岡佳恵であった。
二〇〇七年八月の、ペルセウス座流星群。全てがキラキラ輝いていた日。すただすのメンバーは高校近くの小高い丘のてっぺんに、望遠鏡だけでなくレジャーシートや折りたたみイスを持ち込んで、流れ星鑑賞会を開いた。部長の裕司の発案だった。コンビニでお菓子やジュースを買い込んで、皆ワイワイとはしゃぎながら流星群を見ていたが、
「わぁ!」
と、望遠鏡を覗いていた、普段おとなしい沙織が声をあげた時、皆が一瞬驚いた。
「え、なに?」
圭太が興味津々で話しかける。
「星たちが……」
沙織は独り言のように言う。
「燃えて、散っていく……」
それはさながら、彼らの青春時代のように。
「先輩?」
裕司はハッとして顔を上げた。そこには、少し大人びた佳恵がキャラメルフラペチーノと抹茶ティーラテを持って立っていた。
「どうしたんですか? 疲れちゃいました?」
「いや……」
「はい、抹茶ティーラテ。この甘さは疲れに効きますよ」
「ありがとう……」
「そんな暗い顔しないでくださいよ。せっかくの時間なのに」
「……」
まるでデート中の男女の会話だ。
緩慢な動きで、裕司はマグカップを口に運ぶ。少し強すぎるくらいの甘みが味覚を刺激する。
「あのさ、山岡さん」
「何ですか?」
裕司はマグカップを置くと、軽く息を吐いて、
「今更だけど、どういうこと?」
佳恵に問うた。