第七話 すただす

「そんな恰好じゃ、ちょっと困りますよね」

ふと、タクシーの中で佳恵が言った。

「え?」

『そんな恰好』とは、保護室処遇のためのスウェットのことだろう。先刻までそこにいたのだから無理もない。

「駅前にショッピングセンターがあるんです。そこに行きましょう」
「え……」

タクシーを降りると、二人はショッピングセンター内のユニクロへ向かった。

「先輩、ここでいいですか」
「……」
「夜は冷えるだろうから、パーカーも買っておこうかな」
「あの……」
「プリントTは可愛すぎかなぁ」

それから、まるで着せ替え人形のように裕司に試着させる佳恵。「これかなぁ」「なんか違うなぁ」などと言いながら、あれやこれや洋服をとっかえひっかえしている。

「あのさ、ちょっと疲れたんだけど」

やっと裕司がそう訴えらえた時、それを聞いているのか聞いていないのか、佳恵は、手をポンと打った。

「これでいきましょう!」


「キャラメルフラペチーノください。あと、抹茶ティーラテも、トールで」

裕司は事態が呑み込めないまま、ユニクロで揃えた一式に身を包んでいた。佳恵はどこか楽しそうな表情すら浮かべて、スタバで注文をしている。

「あ、やっぱグランデにしてください」

佳恵の横顔を見ながら椅子に腰かけた裕司は、その姿に、鮮烈に高校時代を思い出さずにはいられなかった。

手足が、少しムズムズする。緊張からだろうか。それとも、薬の副作用だろうか。裕司はそれを落ち着かせるために、深呼吸して目を閉じた。

まぶたの裏に、あの日見た夜空が蘇る。望遠鏡を担いで、『すただす』のみんなで流れ星を追った。怖いものなど何もなかった、ただこの日々を失うこと以外は。


「部長、見てください!  コレ持ってきたんです。みんなで食べましょう」

手づくりのクッキーを嬉しそうに差し出す少女。

「橋本さん、ありがとう」

裕司に礼を言われて、はにかむのは二年生の橋本沙織だ。

「おーい、みんな!  橋本さんが差し入れてくれたぞ」

すただすのメンバーは歓声を上げ、クッキーを持つ沙織の周囲にわらわらと集まる。

「花より団子、星よりクッキーだな」

裕司は苦笑する。

佳恵もまたクッキーを頬張りながら、笑顔になった。

「沙織ー、すっごく美味しいよ!」

「ありがと! 頑張った甲斐があったよ」

二年生の大野純子が天を指差した。

「あ! 二つ同時に流れた!」
「すげぇー」

感嘆するのは同じく二年生の山下圭太。その隣で手を組んで感動しているのは、一年生の佐鳥理恵だ。

「でもこれじゃ、望遠鏡いらなかったんじゃない?」

圭太が軽口を叩く。だが裕司はニカッと笑った。

「それは素人の発想だな。遠くを望む鏡と書いて望遠鏡だ。ほら、橋本さん、覗いてごらん」

ご指名されて、思わず赤面する沙織。

「ほら、ここからこの角度で見てみて」

図らずも指と指が触れ合う。沙織は小さく震えた。

「橋本さん?」

不思議がる裕司に、

「いえ、大丈夫です」

その様子を祈るような気持ちで見ていたのは、山岡佳恵であった。

二〇〇七年八月の、ペルセウス座流星群。全てがキラキラ輝いていた日。すただすのメンバーは高校近くの小高い丘のてっぺんに、望遠鏡だけでなくレジャーシートや折りたたみイスを持ち込んで、流れ星鑑賞会を開いた。部長の裕司の発案だった。コンビニでお菓子やジュースを買い込んで、皆ワイワイとはしゃぎながら流星群を見ていたが、

「わぁ!」

と、望遠鏡を覗いていた、普段おとなしい沙織が声をあげた時、皆が一瞬驚いた。

「え、なに?」

圭太が興味津々で話しかける。

「星たちが……」

沙織は独り言のように言う。

「燃えて、散っていく……」

それはさながら、彼らの青春時代のように。


「先輩?」

裕司はハッとして顔を上げた。そこには、少し大人びた佳恵がキャラメルフラペチーノと抹茶ティーラテを持って立っていた。

「どうしたんですか? 疲れちゃいました?」
「いや……」
「はい、抹茶ティーラテ。この甘さは疲れに効きますよ」
「ありがとう……」
「そんな暗い顔しないでくださいよ。せっかくの時間なのに」
「……」

まるでデート中の男女の会話だ。

緩慢な動きで、裕司はマグカップを口に運ぶ。少し強すぎるくらいの甘みが味覚を刺激する。

「あのさ、山岡さん」
「何ですか?」

裕司はマグカップを置くと、軽く息を吐いて、

「今更だけど、どういうこと?」

佳恵に問うた。

第八話 過去形