祐司の問いに、佳恵はまっすぐ彼の目を見ながらこう言った。
「自分にできることを、しなきゃって思っただけです」
「……どういう意味?」
「そのままの意味ですよ。私はもう、後悔したくないんです」
佳恵はフラペチーノを一口飲んで、
「あの日、どうして踏み出せなかったのかなって。今でも、ずっと引っかかってるから」
自分の胸元を指差す。
「本当は、伝えなきゃダメだったんですよね」
佳恵の言わんとすることは、つまり。
「私、好きでしたよ。先輩のこと」
「……!」
突然の告白。ただし、過去形の。
「あー、もう!」
佳恵は伸びをし、足を組み換え、前髪をいじりながら、
「悔しいなぁ。なんで今なら、こんなに簡単に伝えられちゃうんだろう」
そんなことをボヤいた。
「でも、私は沙織には勝てないってわかってたから、言えませんでした。不戦敗ってヤツです」
沙織。その名前を出されて、祐司の表情がみるみる硬くなっていく。
「本当に可愛かったし。声も綺麗だったし。洋服のセンスも――」
「やめろ」
「え?」
思わず口走った言葉だった。祐司はしまったと思い、ややあってから
「……ごめん」
「いえ、私も方こそごめんなさい」
「……」
辛かった。橋本沙織のことを、過去形で語られるのが。
星に喩えるなら3等星のような、目立たないが夜空を彩るのに欠かせない、そんな少女だった。沙織のことを思い出す時には必ず痛みが伴った。だから、いつしか思い出すのをやめようとしていた。記憶の奥の奥に封じて、一生振り返らないようにしていた。
だが、今、目の前に「すただす」のメンバーだった佳恵が突然現れて、昔語りをしている。どうして沙織のことを思い出さずにいられるだろうか。
体の違和感が、やがて祐司の精神世界を侵し始める。薬なら飲んだ、いや保護室で観察されながら飲まされた。だが、薬でいくら症状を抑えたところで、彼の抱く空虚、喪失、孤独が癒されるわけではない。
「……なぁ、聞きたいんだけど」
祐司は半ば呻くように低い声で言った。
「『寄り添う』って、どういう意味?」
「えっ」
虚を突かれた気分になる佳恵。
「こころのケアセンターのチラシにあった文言だよ。それって、どういう意味?」
「えっと……」
深く考えたこともなかった。ただ、クライエントの気持ちに沿う、それでいて巻き込まれない、距離を保つことが重要だというのは大学院でも教わったことだ。
今思えば、「キミの心に寄り添っちゃうぞ☆」の文字が、随分と軽率に見える。寄り添う、の意味も知らずに、自分は誰に何をどうしようとしていたのだろうか、と。
佳恵が思案している間にも、祐司の様子が徐々におかしくなっていく。目の前の景色が歪み、聞こえてはならない声が彼に語りかける。
『またお前だけ、目ぇ覚めちゃったんだな』
「……」
『お前には、朝が来る。明日が来る。未来がある』
「……う……」
『お前だけが、のうのうと生きているんだなぁ』
「うるさい……」
そう、ポツリと言ったものだから、佳恵は驚いて、
「先輩?」
「どんなに願っていることか……」
「どうしたんです、先輩」
「毎日、明日こそ目が覚めないようにと……どんなに願っていることか……」
異変に気付いた佳恵は、とっさに立ち上がり、祐司の肩をがっしりと掴んだ。中空をさまよう祐司の目をジッと見ながら、
「先輩。先輩、こっち見てください。わかりますか?」
しかし、祐司の認識する世界は歪み続ける。
聴覚が、幻聴と無機質な機械音に支配される。
『ごめんね、裕司』
「先輩!」