第十一話 彼女の告白

佳恵は怒られる、と身をかがめた。

「まぁ、でも……」

北野はテンションを戻して、けろりとした表情になった。

「いっか」
「いいんですか!?」

思わずつっこむ佳恵。

「え、だって、駒春日病院の患者さんってことでしょ。あそこは『立ち枯れ』病院として業界じゃ有名だからね。あんなに山奥にあったら、良くなるものも良くならないよ」
「はぁ、そうですか」

そう、裕司が入院している病院は、あまり評判が良くないらしかった。もちろん、患者のために懸命に汗を流している病院もたくさんあるが、北野が表現するような『立ち枯れ』病院では、ろくな診察も行わず、投薬と監視だけ行い、裕司のように不合理な理由で患者が保護室に入れられることも、残念ながら起こっている。

「さてさて、こちとら誘拐犯だ。どうするかね。身代金でも要求するかい?」

その軽口に、佳恵は思わず北野を睨みつけた。北野は手をひらひらさせて、

「怖い顔しないでよー。冗談だってば」
「あの」

ふと、裕司が口を開く。

「あの写真、何処で撮ったんですか」

指差したのは、先ほどの星空の写真だ。

「あー、それね」

北野は窓の外の、センターから少しだけ見える山を見ながら、

「高尾山だよ。山頂で撮ったんだ。センターを立ち上げる少し前にね」
「……」
「東京にも、綺麗な星が見える場所があってね。空気も澄んでて、本当に美しかったよ。それは、中でもお気に入りの一枚」
「……」

裕司は目を閉じる。

まぶたの裏に、星空が広がる。


ショートメールで呼び出されたのは、ペルセウス座流星群をみんなで観てから、およそ一ヶ月後の、9月の土曜日だった。

指定された場所へ行くと、橋本沙織がポストに寄りかかるようにして立っていた。

「ごめん、待った?」

裕司はそう言ってから、少しだけ息を飲んだ。普段の制服姿と違って、秋色のワンピースを身にまとった沙織が、なんだかくすぐったく感じられたからだ。

「いえ、私もさっき来たばかりです」
「そっか。今日は少し冷えるし、どこかに入らない?」

その日は少し北風が吹いていた。二人は駅前の喫茶店に入ることにした。

店内にはオルゴール調でポップスが流れている。

「あの」

席に座るやいなや、沙織が切り出した。

「犬伏先輩……って、好きな人、いるんですか」
「えっ」

裕司はたじろいだ。あまりにも直球な質問だったからだ。頬をぽりぽりとかきながら、

「えっと……」

この時、素直になる勇気が、裕司には欠けていた。だから、

「別に、いないけど」

とだけ言った。沙織は、「そうですか……」と噛みしめるように呟いた。それから、ギクシャクとした沈黙が続いた。BGMのオルゴールはサザンオールスターズだ。

間もなく紅茶が二つ運ばれてくる。レモンが添えられている方が沙織の紅茶だった。

裕司は天井を見たり足を揺すってみたりしていたが、オルゴールの「いとしのエリー」が終わるのと同時に、沙織が、

「好きです」

と、ハッキリと言った。一度口にしてしまえば、あとからあとから、想いが溢れ出してくる。

「私、犬伏先輩のこと、好きです」
「……!」

裕司は、思わずグラスを掴んで水を一気に飲み干した。心臓が、信じられないくらい速く脈打っている。急激に耳たぶが熱くなってくるのを、感じていた。

「……いきなり、ごめんなさい」

沙織は俯いて、途端に消え入りそうな声で言った。

「でも、今伝えなきゃ、後悔すると思ったんです」
「……」
「ごめんなさい」

祐司は考えるより先に、言葉を発していた。

「謝るなよ」
「え?」

祐司はハッとし。言葉が乱暴だったと感じたのだ。

「……謝らないでよ、頼むから」

そう言い直して、深々と頭を下げた。

「そんな、やめてください……」

沙織がしょげる。紅茶はどんどん冷めていく。BGMはいつの間にかミスチルの「innocent world」に変わっていた。沙織のグラスはすっかり汗をかいている。

祐司は、しばしの沈黙の後、

「……だって、嬉しいんだよ」

跳ね上がる鼓動を必死に抑えながら、続けた。

「僕も、その、なんていうか……」
「……はい」
「……好き、だから」

沙織の表情が、ぱぁっと明るくなった。


それからの日々は、生まれて初めての感覚に満ちていた。祐司は、夢を見ているのではないかというくらい、幸せだった。

あの日、彼女から、本当の「告白」を受けるまでは。

第十一二話 色彩