想いが通じ合うということに起因する自己肯定感は、人生の中で味わう喜びの中でも最上級かもしれないとすら、裕司は感じていた。
毎日が色彩豊かな日々だった。
教室の白いカーテンは風に踊っていたし、彼女の制服の赤いリボンに触れたかったし、街中で黄色い車を見ればいつかドライブに行きたいと思ったし、青い空は味方だったし、校庭の緑の芝生に寝っ転がってはにやけたし、何より宵闇の黒は星々を引き立たせていた。
裕司が先に高校を卒業して大学に入ってからも、彼の中で沙織は新鮮な喜びであり続けた。逢える時間が少なくなっても、いやなったからこそ、余計に愛しさは募った。
――誰だよ、初恋が実らないだなんて言ったの。
沙織が三年生になって、間もなくのデートのことだった。裕司が高校を卒業してすぐに始めたバイトの給料が出て、いつもより少しリッチなカフェでのデートが実現した。豪華なティラミスと紅茶を前に、しかしその日、沙織の表情は暗かった。
「……何か、あったの?」
何か異変を感じ取った裕司は、率直に質問した。
「進路のこと?」
首を横に振る沙織。
「じゃあ、どうしたの」
「ごめん、裕司。私、謝らなきゃいけないの」
「え?」
沙織はバッグから、一枚の紙を取り出した。なにやら数字が並んでいる。手渡されても、裕司には意味がよくわからなかった。
「これ、何?」
「検査結果」
「検査結果? 何の?」
「……血」
「血って? え、何、どういうこと?」
慢性骨髄性白血病。その病名が沙織の口から語られても、裕司はすぐには理解することはできなかった。
「え、でも、治るんでしょ?」
「……わかんない」
「……」
「ごめんね」
「なにも、謝ることないじゃない——」
「隠してたの」
裕司の言葉を遮るように、沙織は言う。
「診断されたのは、去年だったの。みんなで流星群を観たあの日の、その少し前。でも、誰にも言えなくて」
ぽとぽとと涙を落とす沙織。
「後悔したくなかったから、裕司に想いを伝えた。もう、あの時しかないって思ったから」
「沙織……」
「私、入院しなきゃならないの。投薬だけじゃ、良くならなかった。骨髄移植が必要なんだって。だから、こうやってもう、逢えない」
「そんな」
「ごめん。ごめんね、裕司」
泣きじゃくる沙織に対して、裕司はどう答えていいのかわからなかった。しばらく黙っていたが、裕司は必死に想いを手繰り寄せるように、一言、こう言った。
「大丈夫だよ」
「え……」
「病院、どこ? 教えて。お見舞いに行くよ。いや、見舞いなんかじゃなくて、逢いに行く。いいだろ?」
「裕司……」
白い病棟に案内の赤い文字、黄色の廊下の誘導灯、青い制服の看護助手、緑はどこにも見当たらなくて、そんな中で何より際立っていたのはベッドサイドの「橋本沙織 殿」の黒い文字だった。
「今日さー、二限目でお腹すきすぎて途中で抜け出しちゃったんだよ。学食でカレー大盛食べたんだけど、カツもつけて400円だったんだ。びっくりするほど安いだろ」
「授業って、途中で抜けられるようなものなの?」
「大講義室ならね、結構余裕。出席も取らないし」
「へー、大学って結構緩いんだね」
「僕が不真面目なだけかな」
そう言って笑いあう二人。
こんな、なんてことない会話が、沙織は嬉しかった。裕司もまた、今のこの時間を大切にしたいと心から感じていた。
ある時、裕司の携帯電話に見覚えのない番号から着信があった。
「……?」
三限の授業中だった裕司は、教室を抜け出して通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし、犬伏さんですか」
「はい、そうですけど」
「娘が、お世話になってます」
「え?」
電話の主は、沙織の母親だった。
第十三話 日記 へつづく