河口湖畔での合宿の夜といえば、お約束なのが肝試しだ。ペンションから歩いて少し行った湖の畔に、乙女の石像があるという。
食事を済ませた一同は、すっかり肝試しに行く気満々だ。
「その乙女の像の頭を撫でると、恋愛成就するんだって」
「うわー、行きたい行きたい!」
はしゃぐ女子たちを横目に、私はため息をついた。
「智恵美、珍しいじゃない。ため息なんかついて」
美恵が声をかけてくれる。私は力なく笑う気力しか残っていなかった。
「ディナー、美味しかったよ。ありがとう。みんなこれから肝試しだって言うけど、智恵美は休んでたら?」
「ありがと。そうする」
ペンションは4人部屋で、入って右奥が私のベッドだった。そこに突っ伏すと、途端に眠気に襲われる。ダメだ、顔も洗ってないのに、このまま寝たら。
肝試しは一人ずつ、決められた道を辿って乙女の像まで行き、次の人へのナゾナゾを置いて帰ってくるというルールらしかった。とある女子が一人、果敢にも先陣を切って挑むこととなった。
暗い夜道、というよりは闇そのもののような気配の空気の中を、その女子は進む。
懐中電灯を片手に、しばらく行くと、確かに乙女の像はあった。しかし、存在したのは像だけではなかった。
……人の、気配がする。
「誰っ!?」
咄嗟に女子は叫んだ。そして懐中電灯で相手の顔を照らした。
「あっ」
桐崎くんが、湖の畔に佇んでいた。
一人きりで、どこか寂しそうな色を両目に湛えて。彼は言う。
「……こんばんは」
それを聞いた女子は、ため息をついた。
「驚かせないでよね。こんなところで何してるの?」
桐崎くんはゆっくりと女子に近づく。
「ナゾナゾを出すよ」
「あ、そういうことか。びっくりした~」
「僕は次のロマンを探してる。それは、どこにあると思う?」
「はぁ?」
女子は鼻でそれを笑った。
「桐崎くん、だっけ。君、アタマ大丈夫?」
「案じるなら、自分の身を案じた方がいい」
桐崎くんの手には、先刻まで塊肉を切り分けていた、大ぶりのナイフ。
一気に女子の血の気が引いていく。
「な、何? 何なの!?」
「……」
「悲鳴上げるわよ!」
「無駄だよ。肝試し中なんでしょ」
「そんな、そんなっ」
「ロマンを鼻で笑ったね」
「やだ、やだ、やめ――」
女子が言い終えるより早く、非常に的確に桐崎くんは女子の声帯を切り裂いた。
返り血を浴びても、桐崎くんは無表情だ。
宵闇が全てを隠してしまう。まもなく、女子は息絶えた。
血まみれの桐崎くんが、急にこちらを見た。
「次は智恵美の番だよ」
――静かな湖畔をつんざくような悲鳴で、私は目を覚ました。ウトウトしてしまったらしい。気づいたら、ベッドの上で大の字になっていた。
「あ、あれ?」
さっきまで私、外にいなかったっけ?
――夢、か。
ホッとしたのも束の間、
「智恵美」
名前を「その声」で呼ばれて、私は心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。
「わぁっ!」
「えっ」
私のリアクションの大きさに逆に、私を呼んだ当人が驚いたようだ。
「智恵美……大丈夫?」
桐崎くんはペットボトルを持ってきてくれたようだった。
「下村さんが心配してたよ、智恵美のこと」
「美恵が?」
そっか。悪いことしたな。
というか。
「他のみんなは、肝試しに行っちゃったの?」
「うん。下村さんと藤城先輩を残して」
「え」
なるほど。なるほど、そういうことか。
それなら私も野暮なことはできまい。
「桐崎くん、美恵の代理でお礼を言うよ」
「なんで?」
「なんとなく」
「智恵美は本当に『なんとなく』が多いよね」
「まぁね」
桐崎くんの機転に、感謝。
「ところで、さっきの悲鳴は何?」
私は気になっていたことを、思い切って訊いてみた。
「さぁ、肝試しが盛り上がっているんじゃないのかな」
「そっか」
私は今度こそ胸をなでおろした。
……だが、その平穏も、全然長続きしなかった。
桐崎くんが持ってきてくれた水を一口飲んで、私が「ありがと」といった直後だ。
突然、何かが倒れるような鈍い音がして、バタバタとこちらに近づいてくる足音がした。
「っ?!」
私が茫然としていると、桐崎くんは「大丈夫」と私を落ち着かせるように声をかけ、ドアの方をちらりと見た。
彼の予想通りだったのだろうか、ドアが乱暴に開かれ、入ってきたのは美恵だった。真っ青な顔をしている。
「美恵!? どうしたの!」
私が慌てて駆け寄るも、美恵は首をぶんぶんと横に振って
「もう嫌……っ!」
そう言って泣き崩れてしまった。私は美恵を抱きしめることしかできず、ただ突然の出来事に戸惑うばかりで、だから、桐崎くんにヘルプの視線を送った。
しかし、彼はこういう時に限って視線を合わせてくれない。
「美恵、何があったの」
「どうしよう、智恵美、私……」
美恵は震える声で、いや、ほとんどかすれて聞き取れないほどの声で、こう告げた。
「私、人を、殺しちゃったかもしれない」