第九話 肝試し

河口湖畔での合宿の夜といえば、お約束なのが肝試しだ。ペンションから歩いて少し行った湖の畔に、乙女の石像があるという。

食事を済ませた一同は、すっかり肝試しに行く気満々だ。

「その乙女の像の頭を撫でると、恋愛成就するんだって」
「うわー、行きたい行きたい!」

はしゃぐ女子たちを横目に、私はため息をついた。

「智恵美、珍しいじゃない。ため息なんかついて」

美恵が声をかけてくれる。私は力なく笑う気力しか残っていなかった。

「ディナー、美味しかったよ。ありがとう。みんなこれから肝試しだって言うけど、智恵美は休んでたら?」
「ありがと。そうする」

ペンションは4人部屋で、入って右奥が私のベッドだった。そこに突っ伏すと、途端に眠気に襲われる。ダメだ、顔も洗ってないのに、このまま寝たら。


肝試しは一人ずつ、決められた道を辿って乙女の像まで行き、次の人へのナゾナゾを置いて帰ってくるというルールらしかった。とある女子が一人、果敢にも先陣を切って挑むこととなった。

暗い夜道、というよりは闇そのもののような気配の空気の中を、その女子は進む。

懐中電灯を片手に、しばらく行くと、確かに乙女の像はあった。しかし、存在したのは像だけではなかった。

……人の、気配がする。

「誰っ!?」

咄嗟に女子は叫んだ。そして懐中電灯で相手の顔を照らした。

「あっ」

桐崎くんが、湖の畔に佇んでいた。

一人きりで、どこか寂しそうな色を両目に湛えて。彼は言う。

「……こんばんは」

それを聞いた女子は、ため息をついた。

「驚かせないでよね。こんなところで何してるの?」

桐崎くんはゆっくりと女子に近づく。

「ナゾナゾを出すよ」
「あ、そういうことか。びっくりした~」
「僕は次のロマンを探してる。それは、どこにあると思う?」
「はぁ?」

女子は鼻でそれを笑った。

「桐崎くん、だっけ。君、アタマ大丈夫?」
「案じるなら、自分の身を案じた方がいい」

桐崎くんの手には、先刻まで塊肉を切り分けていた、大ぶりのナイフ。

一気に女子の血の気が引いていく。

「な、何? 何なの!?」
「……」
「悲鳴上げるわよ!」
「無駄だよ。肝試し中なんでしょ」
「そんな、そんなっ」
「ロマンを鼻で笑ったね」
「やだ、やだ、やめ――」

女子が言い終えるより早く、非常に的確に桐崎くんは女子の声帯を切り裂いた。

返り血を浴びても、桐崎くんは無表情だ。

宵闇が全てを隠してしまう。まもなく、女子は息絶えた。

血まみれの桐崎くんが、急にこちらを見た。

「次は智恵美の番だよ」


――静かな湖畔をつんざくような悲鳴で、私は目を覚ました。ウトウトしてしまったらしい。気づいたら、ベッドの上で大の字になっていた。

「あ、あれ?」

さっきまで私、外にいなかったっけ?

――夢、か。

ホッとしたのも束の間、

「智恵美」

名前を「その声」で呼ばれて、私は心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。

「わぁっ!」
「えっ」

私のリアクションの大きさに逆に、私を呼んだ当人が驚いたようだ。

「智恵美……大丈夫?」

桐崎くんはペットボトルを持ってきてくれたようだった。

「下村さんが心配してたよ、智恵美のこと」
「美恵が?」

そっか。悪いことしたな。

というか。

「他のみんなは、肝試しに行っちゃったの?」
「うん。下村さんと藤城先輩を残して」
「え」

なるほど。なるほど、そういうことか。

それなら私も野暮なことはできまい。

「桐崎くん、美恵の代理でお礼を言うよ」
「なんで?」
「なんとなく」
「智恵美は本当に『なんとなく』が多いよね」
「まぁね」

桐崎くんの機転に、感謝。

「ところで、さっきの悲鳴は何?」

私は気になっていたことを、思い切って訊いてみた。

「さぁ、肝試しが盛り上がっているんじゃないのかな」
「そっか」

私は今度こそ胸をなでおろした。

……だが、その平穏も、全然長続きしなかった。

桐崎くんが持ってきてくれた水を一口飲んで、私が「ありがと」といった直後だ。

突然、何かが倒れるような鈍い音がして、バタバタとこちらに近づいてくる足音がした。

「っ?!」

私が茫然としていると、桐崎くんは「大丈夫」と私を落ち着かせるように声をかけ、ドアの方をちらりと見た。

彼の予想通りだったのだろうか、ドアが乱暴に開かれ、入ってきたのは美恵だった。真っ青な顔をしている。

「美恵!? どうしたの!」

私が慌てて駆け寄るも、美恵は首をぶんぶんと横に振って

「もう嫌……っ!」

そう言って泣き崩れてしまった。私は美恵を抱きしめることしかできず、ただ突然の出来事に戸惑うばかりで、だから、桐崎くんにヘルプの視線を送った。

しかし、彼はこういう時に限って視線を合わせてくれない。

「美恵、何があったの」
「どうしよう、智恵美、私……」

美恵は震える声で、いや、ほとんどかすれて聞き取れないほどの声で、こう告げた。

「私、人を、殺しちゃったかもしれない」

第十話 最低