第十話 最低

「美恵、どういうこと?」
「嫌だ、嫌だよこんなの! 智恵美、助けて!」
「落ち着いて。何があったの。話せたらでいいから教えて」

美恵は首を横にブンブンと振る。

目が血走っている、その尋常ではない様子に、私は何とか彼女をなだめようと、小さな肩に手を添えた。

「わかった、大丈夫だから、深呼吸して」
「うん……」
「智恵美、下村さんをみてて」

ふと、桐崎くんが立ち上がった。

「一階の様子を見てくる」

美恵は真っ青な顔で、そのまま泣き出してしまった。


彼が戻ってくるのに、さほど時間はかからなかった。

「様子は?」

私の問いに、桐崎くんは左手をひらひらさせて、

「何ともない。『何も起きていない』。でしょ、下村さん」

美恵はビクッと体を反応させた。

「どういうこと?」

しかし桐崎くんは、私を制するように、

「掘り下げるのは酷だよ、智恵美」
「え……」

事態が、まるでつかめない。

戸惑う私に構うことなく、桐崎くんは続ける。

「ただの気絶だろう。呼吸を確認したよ」

それを聞いた美恵の表情から、若干こわばりが消えた。

「藤城先輩、死んでないの?」
「心配ないよ」
「心配なんか……」
「する価値はないと?」

桐崎くんの口調はいつに増して怜悧だ。しかし、美恵の言葉はそれ以上に冷たかった。

「あんな奴、消えればいいのに」

おかしい。美恵は藤城先輩に好意を寄せていると半ば公言しているはずではなかったか。

私は、美恵の目をまっすぐ見て問うた。

「話して。何があったの」
「智恵美が悪いんだ」
「はい?」

急に怒りの鉾先を向けられ、私は困惑した。

「智恵美が藤城先輩の気持ちを無視するから、私がいつだって犠牲になるんだ」
「え……?」

わめく美恵。桐崎くんの表情は、一切変わらなかった。


美恵の口から語られた、事の顛末はこうだ。

他のサークルメンバーの余計な計らいで、二人きりになった藤城先輩と美恵だったが、突然、体の関係を求められたという。美恵が拒否すると、

「あれ、俺のこと好きじゃなかったっけ」

と言い放たれたそうだ。

美恵の恋慕はそんな小汚いものではなかった。いきなりそんなことをするのは、どうにも許せなかった。だから、美恵は無我夢中で、藤城先輩を突き飛ばしたという。

結果、藤城先輩は頭部を打って気絶。顔面蒼白の美恵が私の部屋に駆け込んできたということらしかった。

「……そんな、藤城先輩が、ひどいことを」

私が言いかけたその言葉に、美恵は噛み付いてきた。

「あの人、最低。智恵美が思うよりずっと」
「……そう」
「『そう』、じゃないわよ! 藤城先輩は、私なんかより智恵美のことが……」

そう言って、美恵はまた泣き出してしまった。

桐崎くんは、涼しい顔で窓の外の星を眺めていた。

第十一話 ツユクサ