第十三話 身勝手

藤城先輩の『自殺』の悲しみもまた、あっけなく忘れ去られた。美恵といえばあれから少しナーバスになっていて、大学も休みがちになっている。

私は美恵を心配はしたが、しかし、そんな資格は自分にはない気もしていた。

夏休みが終わって、後期が始まった。私は相変わらず授業に集中できなくて、ずっとソワソワしていた。今日、この授業が終わったら学生課に行こう。そう決めていた。


「文学部の田代さん? 少々お待ちください」

学生課の担当者は訝しげな顔をして、パソコンに向かう。私は唾を飲み込んだ。見知らぬ田代久美子という人間のことを、知ろうとしていた。その浅はかさに、自分でも嫌気がさしていた。

学生課の担当者は、こんなことを言った。

「友達なんですか?」
「え、ええ、まぁ」

咄嗟に嘘をついてしまう。ますます、自分が嫌になる。

担当者は首をひねって、

「全学年、院まで探したけど、学籍にはそんな名前の学生はいませんよ」

心臓が飛び出すと思った。

そんな、馬鹿な。

「本当ですか? いないんですか?」
「はい」
「そうですか。すみません、私の勘違いだったみたいで」

私は軽く会釈すると、早足で学生課の窓口を後にした。

まだ、鼓動は早く脈打っている。

私は、何を確認したかったんだろう。

安心したかった? ただ、自分のために。

まだどこかで桐崎くんを信じられていないんだろうか。

……最低だ、私。こんなにも今、ホッとしているなんて。

信じるも信じないもない。私たちはとっくに共犯者なんだから。


秋雨前線の影響で、雨降りの日が続いた。森林公園の小高い丘では、近所の保育園の園児達が昼間は遊びにやってくる。いつもは甲高い楽しそうな歓声が、授業の間にも聞こえてくるのだが、こう雨続きでは外遊びもできないらしい。校舎裏は、いつも以上に静かだった。

学食に併設されたカフェテリアで、私は中原中也の詩集を読んでいた。その中の『春日狂想』の出だしには、このような一文がある。

愛するものが死んだ時には、

自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、

それより他に、方法がない。

私はまだ、心から大切なものを失ったことが、たぶんない。だから、この出だしはちょっと衝撃的で、また魅力的でもあった。カッコつけて表現すれば、タナトスに近いそれは、このごろの私をひどく惑わせた。

桐崎くんは、私を失ったら、ちゃんと後を追ってくれるのかな?

そんなことを考えてしまう。

しかし、今更だ。私たちはどこにでもいるようなカップルのようで、その実どこにもいない属性を持っている。

罪を、背負っている。

その『秘密の共有』は私たちを強く結んでいた。何人もの犠牲の上に、私たちの絆は成り立っている。そのことを、もう誰かに許してもらおうだとか、認めてもらおうだとか、そんなことは考えないようになった。

私が物思いにふけていると、ふとスマホが鳴った。LINEの着信は、児童文化部の同期からだった。

『学祭の打ち合わせしたいから、五限終わったらサークルボックスに来れる?』

私は少し思案してから、今日は桐崎くんが夜遅くまでバイトなのを思い出した。

『了解。行きます』


藤城先輩の一件で疎遠になっていた児童文化部だが、久々に行ってみると、にわかには信じられない事態が起きていた。そこにいたのは、美恵ともう一人だけ。

「智恵美! ちょっと久しぶり」

美恵が明るく手を振る。

その隣には、なんとなく合宿の時にあったような気のする、青年が手を繋いでいる。

美恵は溢れんばかりの笑顔だ。

「そーゆーことだから、よろしく」

……『そーゆーこと』か。

何をよろしくされたのかはよくわからないが、私はとりあえず、

「おめでとう」

と白々しくも言った。

去る者は日々に疎し。藤城先輩のことなんてもう、この学校にいる誰も思い出さないんだろうな。


秋は学祭のシーズンだ。学業そっちのけで皆、浮き足立っているような気がする。 学年共通の一般教養の授業すら、出席率は低かった。

私の周囲も例に漏れず、人形劇の準備に忙しそうにしている。あまり積極的ではない私は、多くの友人の出席票の代筆を頼まれた。筆跡を変えるのが大事らしいが、そんなことは知らない。

最近、そういえば桐崎くんは、なんというか、フツーだ。少しずつ友人もできて、バイトも軌道に乗って、まるでリア充のようだった。いや、そういう尺度で測れるような人ではないと思うけれど、至って自然に青春を謳歌している姿に、私は違和感を覚えていた。

デートも普通だった。スタバに行って、おしゃべりして、ランチして、一緒に受けられる授業は一緒に受けて、時々お泊まりして。

別段、刺激が欲しかった訳ではない。平和に過ぎるなら、平和な方がいいに決まってる。

でも、彼は、殺人鬼だ。

その事実から、どうやって目を逸らすころができるだろう。 どこかでわかっていた、『私達は幸せにはなれない』ことを。 それでも、目の前の幸せには縋ることしか、私にはできなかった。

ガチャガチャという表現がぴったりな日々が過ぎて、学園祭も嵐のように終わった。打ち上げと称しての飲み会に美恵とその彼氏に誘われたが、丁重に断った。

虚しさが去来する。それを凌駕する、罪悪感に襲われる。

わからない。大切な人のことが。どうしても、わからない。  そんなある日のことだ。森林公園の丘の麓で、人骨が発見されたというニュースを聞いたのは。

第十四話