病院は、僕を懲戒解雇ではなく自己都合退職として扱った。その方が、病院にとってもメリットがあるとのことだった。彼の一件が世間に明るみに出れば、病院の監督責任が問われるからだ。医師免許のはく奪を逃れるために病院が後始末をしてくれたという点では、複雑な気持ちだが感謝はせねばなるまい。しかし、二度とあの場所に戻ることは考えなかった。
それからの僕は、自宅マンションにこもる日々が続いた。なんとなく起きてなんとなくインターネットやテレビを観て、なんとなく食事を済ませてなんとなく眠る。この胸には、虚しさだけが去来して、それをどうにかやり過ごすのに必死だった。
はて、これでは「あの場所」にいた人々と自分に、一体どんな差があるというのだろう。
彼と過ごしたあの時間と空間は、言葉では形容しがたかった。ただ、ちくりとした痛みとじんわりとした温かさを、確かに僕の中に残した。その感覚に触れるたび、彼が最後に見せた笑顔の意味を考えてしまう。
はじめて気づいたのだが、僕の家の壁掛け時計は「6」の近くで秒針が時々止まる。だから遅れ気味なのだ。しかし、時間を気にするような生活でもなかったので、それはそのまま放置した。
その日も無為にスマートフォンを眺めていた。気まぐれにニュースアプリを開いたところ、こんな記事が目に飛び込んできた。
生きづらさを飾らずに綴る新進気鋭の詩人 小川朱音さん H氏賞受賞作収録の処女詩集「ひかりのはなたば」刊行
タイトルだけを見て、本文は読まなかった。いや、読めなかった。前に進めないのは、僕だけなのかもしれない、そんな虚無感に襲われそうだったからだ。
時間が駆け足で過ぎていく。街中にクリスマスイルミネーションが飾られて、誰もがどこか浮き足立つ、そんな季節が巡ってきた頃、僕はようやくインターネットで医師の求人を閲覧し始めた。給与条件はどうでもよかった。ただ、病院ではなくクリニックを探した。巨大な箱の中で裸の王様になるのは、もう御免だった。
新しい勤務先では医師は白衣など着ないで、ポロシャツにチノパン姿で診察にあたるらしい。駅からほど近い雑居ビルの三階にあるメンタルクリニックで、僕は再び精神科医として働くこととなった。ありがたいことに、院長は僕の経歴を深く追及しなかった。
「生きていれば、いろいろあるものです」
……本当に、そう思う。
クリニックの最寄り駅はターミナル駅だったので、人の往来は多い方だった。すれ違う誰もが知らん顔で、次々に行きすぎていく。僕はふと、駅ビルのペデストリアンデッキの広場に設えられたグランドピアノに目を留めた。これは誰でも自由に弾いてよくて、「街を音楽で明るくしよう」という趣旨で自治体が設置しているものらしい。時折、子どもや学生などが「チューリップ」や「猫ふんじゃった」を楽しそうに弾いているのを見かける。仕事帰りにそのピアノを眺めて、「月光」を弾く彼の姿を想像するのが、この頃の日課となっていた。
今になって僕は思うのだ。あの時、彼が僕に見せた微笑みは、もしかしたらメッセージだったのかもしれない。すなわち、
「夢から、さめてほしい」
という、彼の切なる願いだったのかもしれない、と。
桜前線がこの街に到達したその日も仕事だった。クリニックの窓から駅前の桜が風にそよいでいるのがよく見える。診察中はブラインドを下ろしてしまうから、ここから桜を見られるのは僕だけのちょっとした特権だった。こういう特権ならば、大歓迎だ。僕は自分にあてがわれた診察室を気に入った。
これまでの業務と劇的に異なるのは、患者の話を聞いて、彼ら・彼女らを知ったつもりで単に薬を出すのではなく、話をしっかりと傾聴し、処方箋を出すにせよそれは非常に慎重に行うという点だった。何より、「苦悩や葛藤、抑圧は消し去るものではない。携えて共に生きていくものだ」ということを、出会う人すべてに丁寧に伝え続けた。患者の数こそ捌けなかったが、それでよかった。今まで自分が犯してきた過ちを償うには、日々を丁寧に生きるほかないと思ったのだ。
「お加減、いかがですが」
「何をしても楽しくないし、何を食べても美味しくありません」
「それはお辛いですね」
「先生、教えてください。どうしてこんな思いをしてまで生きなければならないのでしょうか」
「……それは、僕が答えを示すものではないと思います。一緒に考えていきましょう、時間はかかるかもしれないですが」
「どうしても死にたくなったら?」
「月を見上げるといいかもしれません」
「え?」
「すべてはやがて月に還りますから」
「なんですか、それ」
「僕の大切な人の言葉です」
彼から教えてもらったすべてを心に留めて、とにかく僕は生きていこう。そう決意した。
最終章 月 へ続く