私と彼が付き合っているらしいという噂は、すぐに学内中でささやかれるようになった。噂というのはいつだって、尾ひれをつけて拡散される。私は内心うんざりしながらも、懸命にスルーの姿勢を決め込んでいた。
それでも、おせっかいというのはどこにでもいるもので、この日はゼミ終わりに同期生の女子、加藤美里が私の肩をつんつんと触ってきた。
「何?」
「唐島さん、ご立腹らしいよ」
「はい?」
聞けば、唐島は、自分と別れておきながら、すぐに次の恋の相手を見つけた彼にたいそう腹を立てているそうだ。いわく、「傷ついた」。
これほど理不尽で馬鹿らしい話も珍しい。自分から別の相手に乗り換えておきながら、被害者ぶるとは、なかなかの神経の持ち主のようだ。彼には申し訳ないが、別れて正解だったと思う。
「それ、気にしなきゃいけないやつ?」
私がそう言うと、加藤は納得いかない表情になった。
「心配してるんだからね、私は」
「それは、ありがとう」
ああ、なんとなくわかってはいたけれど、面倒なことになった。
ところが、私と彼の噂など、すぐに吹っ飛んでしまった。なんと、以前に違法薬物所持で逮捕されたアイドル、佐宗亜梨実が「社会復帰と償いのため」と称して、釈放後に私の通う大学に編入することになったのだ。
毀誉褒貶には事欠かない小さなキャンパスは、一気に色めき立った。佐宗亜梨実は容疑を認め、謝罪会見でこう述べたという。
「これからは、少しでも、世の中のみなさまのお役に立てることをしたいです」
行儀が良くないかもしれないが、それを知って私は反吐の出る思いがした。違法薬物に手を出した人間の贖いの場としてなら、他にいくらでも場所があるだろうに。そんなに『世の中のみなさまのお役に立つ』ことがしたければ、すぐにでもボランティア団体などで活動することもできるだろうに。社会福祉学を学ぶことが「償い」? 笑わせるな。
佐宗亜梨実の華麗なキャンパスライフはすぐに話題となった。一部の学生たちの登下校時のパパラッチまがいの追っかけにはじまり、授業に出れば男子学生たちの視線を一心に集め、昼休みになれば少しでもお近づきになろうと企む輩たちが群がった。唐島の新しい彼氏も例外ではなかったらしく、彼女をほったらかしにして佐宗亜梨実を追いかける輪のなかに入っていった。
まるで漫画のような話だが、それが原因で唐島とニュー彼氏はあっけなく別れたという。その唐島が、芸能人に一切の興味を示さない桐生聖也に再び接近してきたのは、言うまでもない。
「よかったじゃない」
駅前のハンバーガーショップでチーズバーガーをかじって私がそう言う。しかし彼はぶんぶんと首を横に振った。
「どうして? 元の鞘に収まるだけじゃないの」
彼はフライドポテトを先端から吸うようにして一本一本食べている。そのペースでは冷めてしまうだろうと思い、二、三本ほど手伝ってみた。
「あ」
「おいしいね。何フレーバー?」
「バーベキュー」
「外さない選択だね」
「だろ。選択は無難に限る」
「でも、どうしてこれがバーベキュー味なんだろうね」
「言われてみれば」
腕を組む彼。私はなおもフライドポテトに手を伸ばしながら言った。
「あとさ、バーベキューって略して『BBQ』って書くでしょ。でも、『びーびーきゅー』って発音したほうが『バーベキュー』より長くなるのって、ミステリーだよね」
その発言に、彼は声を出して笑った。
「そんなに面白い?」
「うん。その発想はなかった」
「そっか」
彼はテーブルの上にスマートフォンの画面を上にして置いた。
「いつにする?」
「なにが?」
「夏休みは前期テストのあとだろ。梅雨が明ける時期と重なるだろうから、暑くなりすぎる前に実行したくて」
私は思わず、フライドポテトを大きいままごくんと飲みこんだ。
「浜辺で花火」
彼はどこか嬉しそうに言う。ひと夏の思い出作り、ではない。彼にとっては生涯最後の花火を意味するのだ。私のなかに、小さく焦燥感が灯った。
「早いんじゃない? まだ5月じゃん」
「まあね。でもさ、計画って大事だ」
「どこか希望はあるの?」
「鵠沼海岸かな」
「どうして?」
「中学生のとき、生まれて初めて死にたいと思った場所だから」
「そっか」
深くは訊かなかった。訊けなかった。多くの人が経験する、思春期特有の危機というやつだろうか。
「あ」
わざわざ見るつもりはなかったが、視界に入ってしまった。彼のスマートフォンの着信履歴の件数を表す数字が「28」と出ていたのだ。
「ごめん、見ちゃった」
「すごい数字でしょ」
「もうストーカーの域だね」
それでも着信拒否にしないのは、それが刺激になってもいけないし、どうせ同じ大学に在籍しているので意味がないと考えた結果だという。私は思わずこう漏らした。
「可哀想」
「誰が」
「……唐島さん」
「なんでだよ」
「まあでも、自分で蒔いた種だよね、彼女は」
「やだぁ、全然しなしなじゃん」
突如としてフライドポテトを一本奪い去ってきた影に、私は驚いてむせた。彼といえば、冷たい視線を相手にぶつけている。私たちの間に割り込んできたのは、白いブラウスに赤いチェックのミニスカートという出で立ちの佐宗亜梨実だった。
「知ってるよ! あなたたち、最近付き合いはじめたんでしょ」
佐宗は、私の隣に座り、図々しくも残りのフライドポテトを平らげてしまった。
「まっず」
佐宗はそう呟くと、彼の目を覗きこむようにして続けた。
「いいなぁ、私も青春したかったの。ちょうどよかった、私も連れてってよ」
「はい?」
「浜辺で花火!」
佐宗の軽薄な口調に、彼は鋭い視線を一瞬だけ彼女に向け、すぐに席を立って去ってしまった。
三限目 ぱん に続く