佐宗がぱったりと大学に来なくなったのは、6月に入って間もないころだった。「もたなかったね」「所詮は芸能人のおままごとだったんでしょ」など、好き放題に言われたが、どうもネットニュースに出た記事がきっかけらしかった。
『芸能活動自粛中の佐宗亜梨実、都内の大学で好き放題キャンパスライフ』
この記事が炎上したために、佐宗は姿を現さなくなったということだった。取り巻きたちは各々に落胆していたようだが、それも長くは続かなかった。小さな大学に訪れた、ほんのひとときの夢のような時間といったところか。
佐宗の熱狂が冷めて間もなく、佐宗に入れ込んでいた唐島の元彼が、性懲りもなく唐島にアプローチしてきたという噂を聞いたときには、申し訳ないがコントみたいだなと思ってしまった。
3年生の6月を過ぎると実習が始まる。社会福祉士という国家資格を取得するにはいくつかのルートがあるが、4年制大学を出て国家試験の受験資格を得るのがポピュラーな道筋だ。卒業してすぐに資格を取れるわけではなく、あくまで得られるのは受験資格である。そこから国家試験に合格しなければならない。
その前に立ちはだかる大きな試練が、実習である。大仰に聞こえるかもしれないが、実際のところ実習はかなり過酷であると、先輩世代から聞いていた。なかには実習に耐えられずに社会福祉士の取得をあきらめる人もいるほどだという。「実習に耐えられないで福祉の現場に出られるわけない」という人もいるが、果たしてどうなのだろう。慣れない場所に通って毎日、日誌を書かされるって、それだけしんどいんじゃないかと思ってしまう。
私は社会福祉士に加えて精神保健福祉士という資格も目指しているので、精神保健分野での実習を希望していた。実習担当教官から、とある精神科病院のデイケアを紹介されたので、すぐにお願いしますと返事をした。
彼といえば、のらりくらりと回答を先延ばしにし、ついには「どこでもいいです」と気のない返答をしたところ、大学からほど近い介護老人保健施設を指定されてしまった。
実習が始まるにあたって、ゼミでちょっとした壮行会が開かれた。
「私はね、救護施設に行くの」
オレンジジュースを飲みながら加藤が言った。救護施設とは、身体上または精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者に入所してもらい、生活扶助を行うことを目的とする施設である。実習先としては、かなりシビアな場所といわれている。
「人を支援するって、生半可な気持ちじゃ務まらないでしょう。せっかく実習するなら、学生の身分のうちにしんどい目に遭っておこうと思って」
「そっか」
人を支援することは生半可な気持ちじゃ務まらない。確かにそうだ。けれど、たかだか一ヵ月間の実習を乗り越えたところで、その気持ちは生半可ではなくなるんだろうか。
これで国家試験をパスすれば、めでたく私たちは「専門職」とやらになれるわけだが、果たして大学を出たばかりの若造に「支援」される人の気持ちは、どんなものなのだろう。少なくともこの壮行会の場は、自身の実習にかける意気込みを語る者ばかりで、支援される側の心境や感情について言及する者は、まったくいなかった。そういう場なのだから当然だったのかもしれないが、妙な居心地の悪さを、私は感じていた。
実習初日、動きやすい格好で来るように言われていたので、ポロシャツに綿パン、スニーカーといういでたちで実習先の精神科病院を訪れた。想像よりも雰囲気は暗くなく、かといって明るくもなく、6月の曇天をそのまま投影したような雰囲気の事務室にまず通された。
「今日からお世話になります。日本社会福祉事業大学3年の、白川聡美といいます」
指導教官はベテランのPSW(精神科ソーシャルワーカー≒精神保健福祉士)の平井という女性で、私にデイケアの一日の流れを口頭でやや早口で説明すると、「じゃあ、習うより慣れよ、だから」ということで、すぐに私を現場に送り出した。
デイケアには、主に病院を退院した人が参加をしていた。デイケアを卒業できたら次は地域活動支援センターなどの作業所へ、作業所の次は就労支援事業所へ……というのが支援側の思い描く道筋らしいが、実際のところそこまでスムーズにいく人のほうが数少ないのだという。
私は率直に疑問に思った。社会復帰とは、就労することとイコールなのだろうか、と。
「あら、新人さん?」
手持ち無沙汰にしていた私に話しかけてくれたのは、初老の女性の利用者(メンバーと呼ぶらしい)だった。左の薬指には指輪が嵌められている。
「あ、えっと、実習生の白川といいます」
「そう。大変だろうけど頑張ってね」
「ありがとうございます」
私が礼を述べると、ちょうどデイケアの午前のプログラムがはじまるところだった。まずはラジオ体操。動きやすい服装でというのはこういうことか。小学生ぶりにチャレンジしたラジオ体操は、本気でやってみるとけっこう筋力を使うことがわかった。情けない話だが、これだけで筋肉痛になる自信があった。
ラジオ体操が終わると、その日ごとに決められたプログラムにデイケアのメンバーたちが取り組んでいく。今日は「俳句の日」とホワイトボードに書かれていた。椅子に座っているメンバー一同の前に立って、PSWがメモを片手に発言をはじめた。
「みなさん、改めておはようございます。今日は『俳句の日』です。梅雨入りも近いので、紫陽花が見ごろになる時期ですね。移ろう自然に思いを馳せながら、皆さんの思い思いの一句を詠んでみましょう。まずは例として、私の一句です」
まじか。PSWというのは、詩歌もたしなむべき職業なのか。
「梅雨入りを 跳ねて喜ぶ 蛙さん」
まばらだが、拍手が起きる。私は見てしまった。最初に拍手してメンバーの拍手を誘導していたのが、後方にいた作業療法士だったことを。できれば見たくなかった光景だ。
俳句や短歌のことはよくわからないが、今詠まれた句に、人の心を打つ力がないことだけは、身をもって理解できた。
シンキングタイムということで、十名程度のメンバーが黙って短冊状に切られた用紙に向かっている。私はどうしたものかと内心焦っていると、「あなたもどう?」と先ほど話しかけてくれた女性メンバーが紙とボールペンを渡してきた。
「えっと、その、ありがとうございます」
私に選択権はない。社会福祉士の実習一日目にして、なぜか私は俳句を詠むことになった。
その話をLINEで彼にしたところ、大爆笑を表すスタンプが3つも送られてきた。続けて、どんな俳句を詠んだのか教えて、とも書かれていた。
実習の初日にひらく紫陽花や
その句を読んだ彼から、「まんまじゃん。まじで草」と送られてきて、その直後にこんな文面が届いた。
『白川さんって、腹筋がいくら崩壊しても許してくれなさそう』
褒められているのか、けなされているのか、はたまた畏れられているのか。
五限目 再会 に続く