第二話 ブランコ

(二)

ここ数年来の美奈子の課題は、ずばり痩せることだ。今までさまざまなダイエットにトライしているが、未だ成功に至ったことはない。食事制限、十秒体操、サプリメント。あらゆる手を尽くしたが、一向に痩せる気配がない。

美奈子は極端に太っている訳ではないが、決して痩せている方ではない。それには、どうにもならない理由があった。向精神薬の影響である。

薬の副作用とは恐ろしいもので、人によっては昔の写真を見るのが辛くなるほど体型が崩れてしまう人さえいる。若くして不眠に悩んできた美奈子も例外ではなかった。

なので、帰宅してすぐにテーブルの上に洋菓子店の包み紙を発見した美奈子は「あっ!」と声を上げた。

「バウムクーヘン! ひどい!」

手洗いとうがいを済ませると、美奈子はバウムクーヘンの前に鎮座した。

「おかえり」

リビングのソファの上で横になったまま、裕明が返答する。

「どうしたの? これ」
「今日、若宮さんが来たんだ」
「えっ」
「食べていいよ。僕は食欲ないし」
「ひどい!」
「ひどい?」
「こうして私のダイエット成功は遠のくのであった」
「じゃあ皐月さんとこに持ってこうか」
「いただきます」

ほくほくの笑顔でバウムクーヘンを頬張り始めた美奈子を見て、裕明はホッと胸を撫でおろした。

美奈子が食べ終わるのを待ってからソファから起き上がり、若宮から依頼された内容について智行がスマートフォンのボイスメモに残した内容を再生した。

少しの間、思案するように黙り込む美奈子だったが、まもなく寝室に引っ込み、何やら着替えをしているようであった。

「美奈子?」
「いっちにーさんっ」

リビングに戻り、ジャージ姿で突然美奈子は準備体操をはじめた。食べてしまったものは仕方がない。こうなれば、今から近所を往復ウォーキングだ。

「裕明、今日はどうする?」

裕明はソファに寝そべりながら、小声で応答した。

「今日はやめておくよ。交代が多くて疲れちゃった」
「そっか」

美奈子も深くは問わない。人格交代に伴う体力の著しい消費は、当人にしかわからないものだ。

「いってきまーす」

陰惨な事件がおさまったばかりで女性一人の出歩きは、決して安全とはいえない。それでも、周辺は住宅街のために街灯が多く明るめの舗道が続く。

それに、美奈子には密かな楽しみがあった。商店街の先にある小さな公園で、ブランコを思いきり漕ぐのだ。

(痩せるんだ。ちょっとでも痩せて、裕明からもらったあのワンピースがまた着られるようになるんだ!)


一方の裕明だが、リビングのソファからなかなか起き上がることができない。今日いち日ほとんど、裕明は智行に体を支配されていた。

「だから……わかったってば……」

そこへきて、これだ。

「ちょっと、静かにしてくれないか」

これは独りごとではない。れっきとした「会話」である。ただし、物理的に誰かが目の前にいるわけではなく、これは別人格とのコミュニケーションだ。

「美奈子なら出かけたよ」

リビングに、裕明の声だけが響く。しんと静まり返った空気を乱すように、裕明は言葉を続ける。

「うん。美奈子はブランコが好きなんだ」

ソファの上で、寝返りを打つ裕明。その表情が、突然硬くなる。突如として、会話相手である秀一の予知能力が発現したのだ。

「……西? 西に行ってはいけないの?」

美奈子の散歩コースで目指す公園は、家からまさしく西方向だ。

「大変だ」

血相を変え、裕明は飛び起きた。