第三話 落ちる

(三)

「ズッキーニとパンチェッタのキッシュ、きのこたっぷりシチュー、山わさびで食べるローストビーフ、山菜の炊き込みごはん。全部食べてね!」

岸井は満面の笑みで、部屋に入ってきた二人を歓迎した。テーブルには高級フレンチのフルコースも敵わない素晴らしい手料理がところせましと並んでいる。

「ありがとうございます」

美奈子がこうべをたれると、岸井はほがらかに「いいのよいいのよ、私は嬉しいんだから!」と、優しく美奈子の肩を抱いた。

岸井は奥多摩よつばクリニックの院長をして頭が上がらない凄腕看護師長にして、木内の愛するパートナーである。岸井の言葉に木内も頷いて、二人に着席を促した。

「懐かしいねぇ。きみたちが出会ったの、ここだもんねぇ」
「あの頃はまだ美奈子ちゃんも制服姿だったもんね。はー、私も年を取るわけだわ」

美奈子は思わず照れ笑いをする。しかし裕明はといえば、ジッと大人しくまっすぐ前を向いたままだ。岸井は両手を合わせて音を鳴らした。

「さ、食べて食べて!」
「いただきまーす。裕明も、ほら」
「はい」
「あ、返事した」

美奈子は驚いて思わず箸を落としそうになったが、同時に少し安心もした。

岸井が「デザートもあるからね」と朗報をもたらしてくれたので、美奈子もようやく笑顔になって、「やったーっ」と、いつものはじけるような笑顔を取り戻した。美奈子の歓喜の声に、おもむろに裕明は右手を上げた。

「え、いま?」

ツッコミを入れる美奈子に対し、木内がこう続けた。

「もしかして時差があるのかな」

部屋のなかはいっきに、あたたかな笑いに包まれた。

木内の笑えるトホホ話や美奈子の仕事上の愚痴などに花が咲き、にぎやかな食卓の残すは岸井が用意したデザートの登場を待つのみとなった。

「おなかに余裕はある? 覚悟してよ」

岸井はにやりと笑うと、冷蔵庫からふわふわのシフォンケーキと丁寧に丁寧に立てられた生クリームの入ったココットを出現させた。美奈子は思わず「うわあ!」と感嘆の声をあげる。

「しめにシフォンケーキは反則です!」
「ふふ。容赦ないでしょう」

美奈子は生クリームをしっかりとからめてシフォンケーキを口に運んだ。

「おいしい。とっても」
「朝どれ卵を近所の方が分けてくれたの。最高でしょ」
「最高です。ね、裕明」
「……おいしい」
「おいしいねっ」

にこにこ笑う美奈子の目元が泣きそうになっているのを、もちろん木内も岸井も気づいてはいたが、それに言及することはしない。

しかし、二人が笑顔で穏やかに暮らしてくれればそれでいいと願う木内と岸井だからこそ、無理をして笑顔を作る美奈子を看過はできなかった。

「このあと紅茶を淹れるけれど、裕明、少し横になってらっしゃい。あなた、付き添ってあげて」

岸井にいわれて、木内はゆっくりと立ち上がった。

「オッケー。裕明、少し休んで紅茶はそのあとにしよう」