第四話 真相

(四)

赤く猛る炎が、優しい時間と白い空間を飲み込み、それよりも深い紅の雫を湛えた銀色の刃を握ったままの彼に、しかし復讐を達成した感慨などは微塵もなく、燃え朽ちていくその家屋をじっと見つめたまま、静かに涙を流していた。

彼の隣には、茫然自失状態で全身を震わせている少年がいた。悲鳴をあげることすら叶わず、炎がなにもかもを飲み込んでいく、その残酷な様子が幼い網膜と脳裏に焼き付けられていく。

彼は少年の家族の命を奪ったナイフの刃で、自らの指先を裂いた。そこからゆっくり溢れくる血液は、炎のそれよりずっと厳かな深紅をしている。彼――佐久間は炎を前に凍りつく少年、少年の頬を己の血まみれになった左手でゆっくりと撫でた。少年を見つめる瞳は、しかし悪魔のそれではなく、果てしなくいびつな慈愛の気配を帯びていた。

「あ……う、あ……っ」

声にならない声をあげる少年。

「覚えておけ。お前が、すべて覚えておけ。この光景、この温度、このにおい、すべてを」
「あ……」
「お前は生き残って、苦しみ続けるんだ。なにもかもを背負って」

激しい音を立てて家屋の主柱が焼け落ちる。火の粉がその場にいた二人を包み込んだ。

ほどなくして消防隊が駆けつけたとき、佐久間はその場で自分の腹部にナイフを突き立てて自殺を図ったが、すぐに救急車で運ばれ皮肉にも一命をとりとめた。

一方の少年は、完全に意識を失っていたものの、不幸中の幸いで軽い火傷だけで済んだ。しかしそれからしばらくのあいだ意識を取り戻すことはなかった。

佐久間が逮捕されてから起訴され、刑が確定するまではわずか2か月半だった。刑の確定後、佐久間の犯行動機とされた江口医師の有馬雪への処遇が明らかになるにつれ、社会の風向きがこの国の精神科医療に対する批判へと変わりはじめてまもなく、佐久間の死刑は執行された。極めて異例の早さであった。

誰がこの事件を一刻も早く闇に葬り去りたいと願ったのだろうか。江口医師の所属していた組織が政治献金をたっぷりと権力者に渡していたことをマスメディアが殊更に取り上げることはなかった。

つまり、社会はこう判断したのだ――しょせんは他人事だ、と。

佐久間の死刑執行と時を同じくして、入院先の病院で少年が意識を取り戻した。しかし、親戚中があまりの事件の忌まわしさゆえ、彼の引き取りを拒んだ。加えて、少年は意識を回復して以降、不可解な言動をとるようになり、医師の判断で児童精神科のある病院へと転院させられた。

少年は無垢な瞳でポケモンのぬいぐるみを欲したかと思えば突然激しく怒り出したり、ほろほろ泣いていたかと思えばいきなり笑いだしたりと、「情緒不安定状態」とされてやってきた。

児童精神科病棟で当時かけだしの精神科医だった木内と少年は、ここで邂逅を果たす。木内は少年の落ち窪んだ瞳をひと目見て、すぐに「情緒不安定」という転院元の医師の見立てに強く違和感を覚えた。

「はじめまして。きみと一緒に治療を頑張る、主治医の木内といいます」

少年はしばらくうつむいて黙っていたが、突如として両手を上に伸ばし、星を仰ぐかのような仕草をした。それからまもなく、木内を見てにっこり笑い、こう口走った。

「あめがふらなきゃ、にじはかからないよね」

この時以上の衝撃を、木内はいまだに知らない。