第一章 カフェと映画館

この頃大流行している映画があるんです、と唐突に若宮に教えられた。大きなヤマが一段落したので有給休暇を取得しようと、申請用紙を提出したときのことである。

「『花束みたいに恋をした』っていうんですけどね」
「はあ」
「一緒に観に行きましょうよ」
「えっ」
「11月1日、休暇を取得されますよね。なにかご予定は?」

なぜプライベートに盛大に突っ込まれているのだろう。このところ詰めていたので、純粋に休みが欲しいだけなのだ。なんなら家にこもって一日中プレステをしたいと思っていただけなのだ。

「私もその日、休暇申請しますから」
「はあ」

若宮は「14時50分からの回でいいですか?」とスマートフォン片手になにやら操作をしている。

「え、なにが?」
「あ、もうタップしちゃいました。2枚」
「チケット買っちゃったの!?」
「はーい」

あまりの若宮の身勝手さに、僕は思わず脱力した。


待ち合わせは正午、JR新宿駅の東口改札になった。職業柄やたらとパンクチュアルな癖が抜けず、僕は11時50分には到着していた。いつもと違うのは、スーツではなくチノパンにデニムジャケットというラフな格好であることだ。

柱に寄りかかり新宿駅の往来を眺めていると、不思議な気分になる。今ここにいる人間は皆、百年後には灰なのだ。例外なく自分も。いずれ無に帰すとわかっていて、なぜ人々は生きることに固執するのだろうか、と。

「難しい顔してる」

突然、視界に若宮が割り込んできたので、僕は思わず「うわっ」と声をあげた。いつも一つにまとめている髪を流し、事務員の制服ではなく浅黄色のワンピースに身を包んだ若宮の姿に、僕は違和感を覚えた。

どうやら凝視してしまったらしい。若宮はにっこりと笑うと、

「かわいいですか、私?」

と僕をからかってきた。僕は取り繕うように咳払いをすると、

「いつもと雰囲気が違うから」

と言い訳めいて返答した。


ランチに入ったカフェは、客層の9割以上が女性だった。僕らは傍目からみればカップルに見えるだろうが、そのことを若宮はどの程度気にしているのだろうか。

窓際の席に案内されて、料理を注文後に何を話すでもなく、二人で外を眺めていると、ナンパと思しき男性を振り払っている女性の姿が目に入ってきた。この街ではよくあることなのだろう、道行く人は誰も気に留めない。しかし、男性のほうがあまりにしつこいので、女性は早足になって去っていった。

「ああいうの、怖いなー」

若宮がそうこぼすと、僕はここぞとばかりに言ってやった。

「ひとの予定を確認する前に映画のチケットを買っちゃうひとのほうが、怖いと思う」

しかし、若宮は動じない。それどころか、こんなことをいった。

「そうですか? 葉山さんが今の仕事やってることの方がよほど怖いですよ」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
「……」

運ばれてきたステーキ丼プレートを一口食べて、「あ、おいしい」といってから若宮は、ステーキの一切れを僕に分けてくれた。

「ありがとう」
「焼き加減、レアなんです。好きでしょう? こういうの」
「うん……?」


「花束みたいに恋をした」という映画は、事前情報をなにも入れずに観たのだが、タイトルに全く内容がそぐわないサイコサスペンス映画だった。イケメン俳優が殺人鬼に扮し、恋に落ちた女性を次々に殺害していく。その現場に被害女性の好きだった花を血まみれにして添えるという、なんとも悪趣味な映画だった。

女性が悲鳴を上げて、また一人殺される。そのたびに、劇場の雰囲気が一瞬凍り付くのがわかる。これが大ヒットしているという。みんなは、こういうのを求めているんだろうか。

「どうでした? ラストで犯人がキレるくだり、すごい迫力でしたよね!」
「そうだね」
「あら、物足りなかったですか?」

劇場を出てすぐのカフェテリアでカフェラテをかき混ぜながら、僕はさすがにため息をついた。

「あのさ、若宮さんは僕に何を期待しているの」
「期待、ですか?」
「僕に、あの俳優みたいに殺人鬼の演技でもしてほしいわけ?」

すると若宮は両手でティーカップを持ったままふるふる、と首を横に振った。

「いいえ。そんなんじゃありません」
「じゃあ――」
「演技なんかじゃ気が済まないでしょう。葉山さんは、いずれ必ず人に手をかけるんだし」

僕は唖然とした。

「よくできた映画でしたよね。事件現場の描写もリアルだったし。でも、あれらは全部作り物。そんなんじゃあ、葉山さんの心には響かない。ですよね?」
「……いや……別にそんな」
「ほら、その目」
「え?」
「本物の殺人鬼は、そういう目をしているものなんです」
「言いがかりはやめてくれないか」
「確かに、現時点ではただの言いがかりかもしれませんね」

若宮は紅茶を飲み干すと、「じゃあ、今日はありがとうございました」といって、自分の分の代金をテーブルにおいて帰っていった。

なんて休日なんだろう。勝手に予定をセッティングされて、たいして観たくもない映画を観て、言いがかりを突きつけられて、しかも――それはあながち、言いがかりではないことも看破されて。

第二章 そっちじゃない へつづく