若宮香織のマイペース並びにハイペースぶりは折り紙付きだ。葉山が顔を真っ赤にしているのは果たして酒のせいだけだろうか。
その目の前では竹中と美乃梨が、見ていないふりを貫いて談笑している。白々しい。
葉山は2回、大きく深呼吸をした。酔いなど、一気にさめてしまったようだ。
「じゃあ、本日のミッションはクリアということで、帰りまーす」
香織はいつも通りの笑顔を竹中たちに向けると、「あとは皆さんで」と言い残し、颯爽と帰宅支度をはじめる。
「香織、最寄り駅まで送ってくよ」
そういって、美乃梨も帰ってしまった。
あれから結局、突然頬にキスをされた葉山と、それとなくフラれたらしい竹中とが、そろって終電を逃した。スーツ姿の酔っぱらい二人が、終電後の街を歩いている。一歩間違えれば職務質問の対象だ。
タクシーを拾うことも考えたが、竹中の傷心と葉山のショックとがそれを引き留めさせた。しばらく歩いて繁華街を抜けると、公園があったのでそのベンチに二人して腰かけた。
しばらく夜風に吹かれていたのだが、季節が季節なだけにあっという間に体が冷えてしまった。
かじかむ手をすり合わせながら、竹中が「なあ、葉山」と話しかけた。
「たまにさ、何もかも投げ出したくなることってあるだろ」
「うん、まあ」
「俺は、まさに今だ」
「高田さんのこと?」
竹中は力なく頷いた。
「こう見えても真剣に好きなんだけどな。片想いってのは、しんどいもんだな、こんな歳になっていうことじゃないかもしれないけど」
竹中はベンチの上で大きく伸びをした。
「ああ、しんどい。死にたいくらいだ」
そういって、大きくため息をつく。葉山はそんな竹中を諭すようにいった。
「だめだよ、そんなこと言っちゃ」
「わかってる。言葉の綾だ」
「大人げないよ」
「わかってるって」
夜風が枯葉を運んで、二人の目の前を去っていく。少し離れた繁華街のほうからは、インストゥルメンタルのクリスマスソングが流れている。
「お前はいいよな」
竹中がいった。
「ほっぺにチューだもんな」
「竹中、まだ酔ってる?」
「わりとしらふだ」
葉山は、思わず若宮にキスをされた左頬に触れた。
「大切にしろよ。目の前の大切を大切にできないやつは、なにもかもを取りこぼすから」
「……僕は、別にそういうんじゃ……」
「せめて自覚しろよ、若宮さんが可哀想だ」
電球が切れかかっているのか、公園の街灯が何度も明滅する。
「違うんだよ。本当に」
それを聞いた竹中は、一度だけ大きなくしゃみをした。
「おいおい、それ若宮さんが聞いたら泣くぜ」
「泣かれるだけなら別にいいよ」
「とんだ冷血漢だな、お前」
「そうかな? まあ少なくとも熱血漢ではないわな」
三十路手前の男性刑事二名が、恋バナにもならないぐだぐだな話を真夜中の公園で展開している。竹中が「まあいいや、どっかのファミレスまで歩くか」と提案をしたが、葉山は首を横に振った。
「なんでだよ。まさか夜通しここにいるわけにもいかんだろ」
「竹中」
葉山は急に神妙な顔で竹中をまっすぐに見た。
「なんだ?」
「こういうのって、勘、で片付けていいのかな」
「なにがだよ」
煮え切らない様子の葉山に、竹中は怪訝そうな表情をする。
「運命とかさ、そういうのを信じているわけじゃないけど、一瞬で『あ、この人だ』ってなる感じ、お前わかる?」
竹中は、すぐにそれが恋愛沙汰の類ではないことを察知した。なおも葉山は続ける。
「抵抗できない感じ。どうしてもその人じゃなきゃだめなんだって、そういう感覚」
葉山は俯きがちに、自分の両手をじっと見つめた。
「いつか、しちゃうのかな」
葉山の声が不穏な色を帯びる。
「もしその時が来たら、竹中、お前が僕を捕まえてくれよ」
「さっきからお前、何言ってんだよ」
「自分でも、よくわからない」
葉山は力なく笑った。
最寄り駅まで送るというのは方便で、あのあと美乃梨は香織と2軒目のバーに滞在していた。
「私、何しているんだろ」
珍しく落ち込み気味な香織に、美乃梨はソルティライチを傾けながら返答する。
「恋してんじゃないの? 恋ってのは、もれなく人を阿呆にするからね」
「美乃梨はどうなの」
「私?」
香織は美乃梨の腕を肘でつんとつついた。
「竹中さんにあそこまでアプローチされても、岩みたいに動かないよね」
「そんなことないよ」
「えっ?」
美乃梨は流しているロングヘアを片手でさらりと撫でるような仕草をした。
「気にしてるにきまってるじゃない。ただ、ストレート球ばかり投げられても、打ち返し甲斐がないってだけで」
「ふーん。駆け引き的な」
「そんな立派なもんじゃないよ。私が幼稚なだけ」
「美乃梨も、とんだ阿呆だね」
「まあね」
ニッと笑う美乃梨。その笑みに、今まで何人の男性が斬られてきたことだろう、と香織は心の中でため息をついた。
「私はキスまでしたのに、まるで伝わらないんだよ。こんな切なさってある?」
「あれは、葉山さんからしたらもらい事故みたいなもんでしょう。同情するわ」
美乃梨はカクテルのおかわりを注文してから、「あ、終電」とつぶやいた。
「いいよ別に。美乃梨がそばにいてくれるなら、もう今夜はどうでもいい」
「誤解を招きそうな発言ね。自棄になっちゃだめよ」
「わかってるよ。でも、あの人が狙っているのは、私だから」
美乃梨は長く息を吐いた。
「はいはい。でも、そもそもなんで香織は葉山さんが好きなの?」
美乃梨の問いに、香織はカクテル片手にくちびるをつんと尖らせた。
「文字通りなの」
「何が?」
「狙ってるって、そのままの意味なんだよ。あの人は、獲物を狙っているの。いつか、あの人はその狙った人物を必ず手にかけるの」
「ずいぶんと人を勝手に判断するのね」
美乃梨は、深刻に首を横に振る香織のほほを、きちんと手入れされたすべすべの指先でつついた。
「葉山さんが殺人者予備軍ってこと?」
「なにするのよう」
「香織のほっぺって、昔から変わんないよね。ずっと、もっちもち」
「褒めてるの?」
「どうだろうね」
美乃梨に頬をいじられたまま、香織が「褒めてるんだよね」と主張すると、美乃梨は笑っていった。
「好きなら、それでもいいじゃない」
「えっ」
「でも、どうしてまた葉山さん?」
美乃梨の率直な問いに、香織はぽろりと告白をした。
「……恩人なの」
「恩人?」
「私、むかしストーカーに遭ってたでしょう」
「ああ、あのボンクラ元警部補?」
警察官僚を父親に持つ、とある男性元警部補が、香織に言い寄っていたのは有名な話だ。
だが、その男性はある日を境に突然姿を見せなくなった。当時彼とバディを組んでいたのが葉山だった。葉山に事情をきいたのだが、何もわからないという。
ただ一点、思い当たるフシがあるとすれば、そのとき追っていた殺人事件の被害者の画像を、捜査資料の提供としてメールで連日連夜送り続けたことくらいだ、と。
「ボンクラ撃退、最高の天然じゃん」
美乃梨が茶化すようにいうと、香織はため息をついた。
「あと、目ね」
「目?」
「そう。あんなヤバい目をした人、ほっとけないよ」
「好きなら、振り向かせるまでじゃない? 好きになった相手にどんな願望があろうと、
れを受け止めて抱きしめてあげることが、純愛のなせる業じゃないかしら」
「純愛、かな……」
美乃梨は香織のあごを長い指で引き寄せると、艶っぽい表情で笑った。
「こんなかわいい娘、泣かせるなんてね」
「美乃梨もそう思うかー」
「香織。ちょっといい?」
翌日、葉山のスマートフォンに香織からラインが届いた。
「素敵な提案があります。またデートしましょう」
自分に拒否権はない。それをわきまえていた葉山は、「了解です」とだけ返信した。
第七話 夢の機械 へつづく