あれからどれくらいの時間が経ったのか、そのこと自体を考えなくなっていた。
何日、何ヶ月、いや何年経ったのだろう。僕が「あの日」のことについて思考を至らせたのは、その年の年末(とされる時期)の寒い日に、ゼロイチが編み物の編み針を落として、咳こんでしまった時のことだった。
「大丈夫?」
「ごめん、拾って」
僕はゼロイチに言われて暖炉の近くに落ちた編み針を拾う。
もうずいぶん、ゼロイチは羽ばたくどころか歩くという動作をやめてしまっていた。ここはもともと診療所だった建物だから、ホコリと錆にまみれた車椅子なら何台か置いてあった。
今ではそのうち一台をメンテナンスして、たまの晴れた日にゼロイチを散歩に連れて行ってやる。ゼロイチははじめこそ気恥ずかしがったが、すぐに「ありがとう」と受け入れてくれた。
文化とともに季節という概念が壊れて以降、僕らは毎日に無意味さと諦観を強いられてきた。「あの日」を境に、僕らに「終わり」という名の希望の揺り戻しが起きるまでは。
ゼロイチは肩を丸めて咳き込む。息を吐くたび、古びて抜けかけの羽が舞い落ちる。
せめて、咳き止めの調合がわかれば。こんなこと、ケムリなら朝飯前なんだろうな、と。
本棚は僕の手に負えない難易度の高い書物ばかりが残されていたから、ゼロイチがエイタンゴの読み方と意味を教えてくれた。緑川ゆうという女性は、遠い昔に滅びた人類の文化を少しだけ記憶しているらしかった。
きっかけや原因、理由など、もはやどうでもよかった。世界から見放された一人の男性が、死に焦がれてその願いを叶えるために、できうることはすべてしてきたらしいし、否定の可能性の芽という芽をひたすらに潰し続けた。それがケムリの「人生」だった。それだけだ。
ゼロイチから語られた「別れ」のことは、僕の心をざわつかせはしても揺らすことはない。僕には全く関係ない話なのだ。生まれたばかりの僕を託して緑川ゆうが自ら死を選んだことも、自分を覗く生き残った全人類がキボウに乗り込んだことも、ケムリは決して恨んでなどしていないのだから。
限界、終わり、終焉。それらがこんなにもあたたかいものだとは知らなかった。昔の人々は死を不可逆の終止符と認識し、∞のリングが侵されることをなにより恐れたという。
終われないことのほうが、僕にとっては絶望だから。今はいずれ必ずやってくる終わりに向かって、僕は静かにゼロイチと二人で暮らしている。
ところで、キッチンから見える庭には、幽玄と表現すべき一本の木が生えている。僕の最初で最後の恋人だった、愚かで高飛車で誰よりも臆病だった女性の墓碑の真上に、いつからか根を張りぐんぐんと伸びた。
その木に、ゼロイチは名前をつけることを嫌がった。名前をつければ妙な愛着が生まれることをよく知っていたのだろう。
木のてっぺん近くに、瑠璃色のくちばしと瞳を持つ白い羽毛の鳥たちが家族で巣を作って棲んでいる。かつて僕がかわいがってやった小鳥の子孫たちだ。時折、陽気のいい日には何羽も連なって歌を歌ったりする。ゼロイチはそれを楽しみにしているらしかった。
ゼロイチがあまりにも咳き込むので、僕は背中をさすってやった。指に絡みついた羽はすべてひらりひらりと床に落ちてゆく。
「今日はいっそう冷えるね」
「うん」
僕はゼロイチの膝の毛布を敷き直す。暖炉で燃える木片の弾ける音が耳に心地よい。
「思い出してた。『あの日』のこと」
「そう」
僕はロッキングチェアに身を預け、そのまま目を瞑った。
いつもの食卓、いつもの顔ぶれ、いつもの匂い。二度と戻ってこないからこそ、大切な時間。そのすべてを壊したのはケムリ。けれど、それは一面的なものの見方というやつなのかもしれない。すべてを壊され、たった一人地球に住むことを選択させられ、「全知無能」となり下がることを強制された存在。
今なら、少しだけわかる気がする。
ケムリは、寂しかったんだ。
「あの日」、ゼロイチは身を挺して僕を守ってくれた。ランパトカナルを失くした地球の上で、神であるという虚しい自覚に苛まれ果てたケムリの凶刃は、手当たり次第に振り回されて何度も空を切った。
僕は恋人の遺体から離れることができず、その場にうずくまってしまった。刃はこれでもかとゼロイチの羽を裂いた。ゼロイチは痛みに耐えながら、僕がこの手で決着をつけるための覚悟を決めるのを待っていた。
ゼロイチが激痛と引き換えにケムリの懐に入り込んだのは、一瞬の隙をついてのことだった。ケムリのみぞおちにこぶしで一撃を加えると、強い口調で僕の名を呼んだ。僕はあまりの出来事に愕然としながらも、それこそ必死に叫んだ。叫んで叫んで、その叫び声はすぐに悲鳴に変わった。僕は強く目を閉じた——まぶたの裏にさえ、それは鮮明に映ったのだけれど。
矢のように尖ったノイのくちばし。それが目にも止まらぬ速さでケムリの胸に刺さった。それからは、まるでスローモーションを見ているかのようだった。そういえば小さい頃、ケムリにそういう動きをうつす「映画」というものがあると教えてもらったっけ。
ケムリの左胸を穿ったノイはそのまま動かなくなった。あとから知ったことだけれど、この直前にノイは本棚の隅に卵を何個も遺していた。哀れに思ったゼロイチが、それから毎日柔らかい布で温めてやったら、無事にひなたちは孵ったのだけれど。
何もかもが、終わりへ向かう。いずれあの小鳥たちの歌も聞こえなくなるし、深い傷を負ってすっかり弱りきったゼロイチもそう長くないだろう。
これで、いいんだ。
きっと僕らは間違っていない。
いや、間違っていたとしても、過ちになんの意味があるだろう。
無意味に意味を浮かべて、僕らはどこまでも漂うだけだ。
それだけ。終わりがあるからこそ、命は尊い。永遠に意味が宿らないのは、終わるときにこそそれが満たされるからなのだ。
僕らは終わることができる。いずれ、必ず。
だから今は、ただ残った者たちで寄り添ったって、それこそばちなんて当たらない。僕たちはただここで生きて生きて、やがて静かに終わるんだ。
その日が来るまで、ただ、生きるだけ。僕たちに終止符が打たれたあと、この星がどうなるかは知らない。宇宙で一番寂しさを知っている惑星として、たくさんの寂しさを運び続けるのだろうか。
「ねえ、アオ」
「なに?」
「久々に、シチューでも作ろうか」
ゼロイチが珍しく立ち上がって、僕に微笑みかける。僕はゆっくりとうなずく。外を見上げれば、桃色の霞の隙間から、緑色の満月が顔を覗かせていた。
【fin.】