第十八話 慈愛の罠(四)風

それは確かに、二人にとっては優しい時間だった。不自由と抑圧を絵に描いたような場所ではあったが、それでも二人は、その空気に抗するごとく、不器用ながらも真剣に心を育てあった。 少女——雪は、ちらりと目が合…

第十六話 慈愛の罠(二)邂逅

事件の一報を児童養護施設の職員から知らされた裕明はうつむいて、その職員に気づかれないよう、「やっぱり」とこぼした。宿直の男性職員は、裕明に深呼吸を勧めた。 「まず、落ち着くんだ。今回のことは、いずれ知…

第十五話 慈愛の罠(一)人殺し

木内が美奈子を待合ロビーへ招き入れ、あおいがウォーターサーバーの水を汲んだ紙コップを手渡すと、美奈子はそれを一気飲みした。開口一番、「話をさせてください」という美奈子の鬼気迫る雰囲気に一瞬だけ圧倒され…

第十四話 過日の嘘(七)邪魔者

木内の口から「情報提供」として若宮に共有されたのは、高畑美奈子の家庭環境についてであった。 彼女の父親は大手の商社に勤めるサラリーマンであったが、長引く不況ゆえリストラの対象となり、マイホームのローン…

第十三話 過日の嘘(六)声

美奈子が小鳥のさえずりで目を覚ますと、心地よい日差しが簡易ベッドの足元に差し込んでいるのが見えた。こんな優しい光は、久しぶりに見た気がする。まるであたたかかった祖母のひざの上のようだ。 美奈子はその光…

第十二話 過日の嘘(五)カード

美奈子がいなくなったことに混乱した裕明が「白い部屋」を飛び出し、そのまま院内のあちこちを彷徨っていたのと時を同じくして、入院棟の夜勤を担当していた看護師たちがある異変に気づいていた。夕飯を配膳しようと…

第十一話 過日の嘘(四)定規

岸井の気持ちを落ち着かせようと、木内は「深呼吸を」と彼女に促した。 「裕明に特段、おかしな様子はなかった?」 「野暮なこと言うのね」 「え?」 「『おかしい』って、まるでどこかに『おかしくない』って定…

第十話 過日の嘘(三)怖い

「知らない場所って?」 知らない。知らないから、知らない。 「何が見えたの?」 大きな木。その根元に僕らはいるんだ。僕らは寄り添っていて、でも見つめあうわけじゃなくて、同じ空をずっと見てる。 「どんな…

第九話 過日の嘘(二)りんどう

何をもって何を「不幸」だとか「悲劇」などと「誰が」決めるのだろう。ある「ものさし」で測ろうとすれば、今、美奈子の目の前に広がっている光景は「異様」とされるのかもしれない。 だが、木内にシャンプーを施さ…

第七話 心臓の形(七)斜陽

青年は強引に美奈子の腕を引っ張り、獣のように鋭い眼光を彼女に突きつけた。美奈子の額の汗と血の気とが、一斉に引いていく。 「こんなところに、何をしにきた……」 先ほどまでの透明感のある声とは打って変わっ…