面影

独言 私の想いは、幼子の欲求の発露のごとく拙く、月光を吸い込んだ絹糸のように儚い。しかし、それで構わないから、あなたを絡めとりたい。私の言葉で、あらゆる倫理を超越して。 思慕 外山景彦とやまかげひこが弁護士となったのは、…

ふたり/中指

雪解けは終わりの合図、春 そしてきみは言うんだ 「はじめまして」って 笑顔が似てきたね、と藍子に言われて以来、ときどき鏡に向かって笑ってみる自分がいる。夫婦は似るものだとよく言われるけれど、私たちも例外ではないようだ。 …

天体観測

秋川浩輔あきがわこうすけは自分に課せられた使命を自覚して以来、規則正しい生活を心がけている。風邪など引くわけにはいかないからだ。 毎晩していた晩酌もやめた。惰性で動画を観るのもやめた。毎朝6時に起きて、新聞に一通り目を通…

エピローグ ふたりの涙

「征二……!」 ユイは、思わず口走った。祭壇前から入口まで駆け寄って、「征二、征二、征二っ」と、愛しい名前を何度も呼んだ。征二もまた、不器用な笑顔を浮かべた。 「おかえり、ユイ」 「ただいま……!」 ユイが花の咲くように…

第九話 教会

高速道路を、制限速度を若干超えて飛ばした。俊一は黙ったまま、運転を続ける。征二はぶつぶつと何かを唱えている。 「再会の日には、贄が必要なんだ……捧げられたのは、黒い羊さ」 いつもの、といえばいつもの征二だ。 「嘘つきは贄…

第八話 灰になる

病棟が、燃えた? 翌日の朝、その一報を電話で受けたとき、俊一は横目で、朝風呂上りにソフトクリームを食べている征二を見やった。 ……どう伝えたら、いい? 俊一が逡巡していると、ふと、征二が言った。 「俺、こんなうまいソフト…

第七話 温泉

一線を越えてしまった者たちの、悲しい歌が聞こえる。彼は言う、『狂うことでしか、生き延びられなかったのだ』と。 そう、狂気に身をやつすことは、彼にとって生きるための手段だったのだ。なぜなら、狂わなければ、彼はきっと「生きら…

第六話 一歩

その場に、重苦しい沈黙が降りる。出されたお茶も冷め切ってしまった。 俊一は促すようにもう一度、滝崎に手紙を征二に見せるように言った。征二はしばらく無言で手遊びに興じていたが、ふと言葉を漏らした。 「虹は、どこ?」 「征二…

第五話 手紙

彼の眼は爛々として、すでに既存の世界を映していない。彼が望んだ世界が、目の前に広がる。それは、背筋が凍るほどに美しく、また残忍だ。 「ふふふ…………」 時刻、午前3時。彼だけが認識しうる世界で、彼はどこまでも幸せなのだ。…

第四話 ライオン

新緑のむわっとした生命の匂い。彼は花壇の横に設えられたベンチに腰掛けて、深呼吸をした。 「皐月、か」 かつて、彼と彼の愛する人が儚い永遠を誓った季節。彼にとっては特別なときだ。箱庭の外ではバラも美しいだろう。あの日、確か…