「ああ、あの子なら先日、天使になっちゃったよ」
苦笑混じりのその言葉に、僕は持っていた花束を薄汚い廊下に落とした。
「先日って具体的にいつですか」
やや責めるような口調になってしまうのが自分でも悔しい。
『白衣の天使』は事も無げにそれをあしらい、
「水曜」
「え」
「大きな笑い声が聞こえたかと思って様子を見に行ったら、もうあの子は……」
「結構です」
もう、結構です。
僕がその場にいたら、彼女を引き留められたかもしれない。……タラレバは意味が無いけど。
彼女を追いかけていこうとも思った……、が、僕にはそこまでの勇気も誘惑も無かった。
彼女が『サイゴ』の時を過ごした場所を、僕は花束で汚してしまった。
モーツァルトの『怒りの日』を思い出した…
君はいってしまったんだね。
言ってしまったし、
行ってしまったし、
逝ってしまったんだね。
「伝言なら預かっているよ」
白衣の天使が面倒そうに言う。でも僕はその言葉に食いついた。
「伝言?」
「『私に早く名前をつけて』」
は?
ネバーエンディングストーリー気取りか。
ここにはファルコンもバスチアンもいない。
僕は叫びたい衝動を我慢して、白色の箱庭から駆けだした。
僕の頭に晩秋の鈍い西日が射した瞬間、大量の乱数と共に、彼女の言葉が、心が、想いが伝わってきた。
……かつて愛した貴方へ
私は恐れるものが無くなり、失うものも失い、ついに自由から逃げられなくなりました。
すなわち、私自身が天使であるということを、他でもない私が自覚してしまい、
私は殻を破らざるを得なくなったのです。
人間を愛した罪は自分で裁きます。
さようなら、さようなら、あなた。
こんなに天気がいい日に旅立つのは貴方がいてくれた、その所為よ。
最後に下手な貴方の口笛が聞きたかったです。
葬列が見えた。
少女の遺影が日を照り返した。
神妙且つ沈痛な面持ちの行列が疎ましく感じられた。
僕は葬列に紛れるようにして黒衣の衣擦れの音に、口笛を重ねた。
ムーンリバー…
ムーンリバー。1マイルより広い川
私はいつか向こう岸に渡ってみせるわ。
ああ あなたは私に夢を与える。
そして傷つけるのもあなた。
あなたがどんな所に流れて行こうとも
私はあなたについていくわ。
2人のさまよい人。岸を離れていくわ。
世界には こんなにも見るべきものがあるのよ。
私たちはきっと一緒になれるわ
あの曲がり道のあたりの虹の向こうで。
私の幼なじみ。ムーンリバーと私
さようなら、さようなら!
二度と開かれない君の唇を思っては、幾千もの命の散り生まれまた果てる、その輪の金色を思っては、僕は途方もない気分になるのでした。
僕は、ただただ音の掠れる口笛を、吹くことだけを許されたのです。
音痴な鎮魂歌
若しくは
他人様の子守歌
ああ、ああ、ああ、本当に、あの子は天使になっちゃった。
葬列が消えていく。
君は今から紅に身を焦がす。
君がそう望むなら、名前をつけてあげよう。
「……amour」