テーブルの上にレモンがひとつ。壁に掛けられた時計は、正午を少し過ぎたあたりを指していた。
大事な話がある、と言われたのはいいが、もう何分も沈黙がこの部屋の支配をしている。
ふと、白い鉢が目についた。
「なんていうの」
私が観葉植物を指さすと、彼は「ドラセナ」と答えた。
「『幸福の木』って呼ばれてる」
「ふーん」
再び会話が途切れる。付き合って一年、初めて部屋に呼んでくれたことは嬉しかったし、大事な話があると言われれば、期待するなというほうが無理だ。
レモンを見つめる。よく見ると、表面はぶつぶつとしている。鮮やかな黄色が強烈な酸っぱさを連想させ、私は思わず唾を飲み込んだ。
すると彼がこんなことを呟いた。
「賭けをしよう」
「え?」
「このレモンは時限爆弾。あと五分で爆発しなかったらきみの勝ち。爆発したら僕の勝ち。負けたら望みにひとつ従う」
「梶井基次郎?」
彼は真剣な表情でこちらをまっすぐに見てくる。私はドラセナの青々とした葉に視線を逃がした。
爆弾なわけがない。賭けにのれば間違いなく私が勝つ。彼にしてみれば勝算のない提案だ。
「大事な話って?」
彼はレモンを手に取った。
「このレモンの皮」
「ん」
「神は細部に宿る」
彼の差し出したレモンを、改めてまじまじと見た。なんの変哲もない、ただのレモン。
「それが大事な話?」
「きみは証明されたものしか信じない」
「え」
「根拠や論拠の保証されたものしか」
私はまた、唾を飲み込んだ。
「でも、世界って理屈とか論理で説明できないものに満ちているんだ」
彼は、言葉を選んでいる様子だ。
「僕はそういうものを見ている」
「そう」
「つまり、だから」
彼が言葉を詰まらせる。ああ、これはもしかしなくても、別れ話なんだろうか。
なぜ部屋にテレビがないのか、ドラセナなんて置いてあるのか。何ひとつ私の理解は及ばない。
「僕はきっと、きみに相応しく……」
「どかーん」
私は呟いた。レモンの表皮がつやつやと照明の光を反射している。
「2分48秒、レモンは爆発しました」
彼は、ぽかんとした表情を浮かべる。
「では、神さま。お望みを」
「えっ?」
私は恭しく首を垂れた。
「知ってたの?」
彼の問いかけに、私は「うん」と答えた。
ドラセナの葉が、全てを察したかのようにふわりと揺れる。
「じゃあ……」
彼は深呼吸して、はっきりとした口調で言った。
「一緒に、幸せになりなさい」
私はレモンを指で弾く。転がったレモンが、コンクリートの壁に身を寄せた。