僕は今日も一人、キャンバスに向かって絵筆を走らせている。町はずれのおんぼろなアトリエには、むんとした絵の具のにおいが立ちこめている。僕の目の前には薔薇が一輪挿しに入って置かれていて、僕はそれを描いているのだ。
薔薇を描くことは容易ではない。幾層にもなった花弁の複雑さはもとより、棘のある茎としなやかな花柄、5枚のがく。この奇跡的な均整を絵の具で描き出すのは骨の折れることだった。
それでも、僕は薔薇を描くことをやめない。正直、生活はとても苦しい。売れる絵を描けと人は口をそろえるが、僕は耳を傾けない。
彼女の名はフローラといった。僕の幼馴染で、薔薇の刺繍をキルトに入れて生計を立てていた。春の女神と同じ名前だなんて、と彼女はよく笑っていた。その笑顔が、まさに薔薇の咲くような麗しさだった。僕は、きみを描きたいと伝えた。それが愛の告白のつもりだった。しかし、それが受け入れられることはなかった。
あるとき、フローラは姿を消した。町の噂では、隣町の富豪に嫁いだとのことだった。僕は、自分の無力さをキャンバスにぶつけることしかできなかった。
さて、なぜ薔薇のがくは5枚なのだろう。5という数字は素数だ。人の指の数とも合致する。そう気づいた僕は、自分の掌が薔薇を抱くに相応しいと考えるようになった。
5はフローラのことを僕に鮮やかに思い出させてくれる。長いまつげ、つぶらな瞳、透き通るような首筋、すらりとした指先、薔薇色の唇。ほら、フローラについて思い出すのはこの5つなのだ。
キャンバスに描かれた薔薇は永遠に枯れることはない。花束はきみに贈ることができなかったけれど、決して朽ちない一輪ならば、これできみに捧げることができる。
5は、この絵の通り永遠を示す。僕はそのことを知っている。薔薇のがくや僕らの指、それから僕がきみの好きなところが全て5つなのには、確かに意味があるんだ。きみはまだ知らないだろうから、今から教えてあげるよ。
***
――画家の男が一人、薔薇の描かれたキャンバスを抱きかかえて息絶えていたのを見つけたのは、家賃を取り立てに来た大家だった。男のためにささやかな葬儀が執り行われたが、キャンバスから薔薇が解き放たれて、フローラのもとに届いたことは、彼女以外に知られることはなかった。
フローラの心に咲いた彼の薔薇は、彼女の命が果てるまで枯れることはなかった。永遠は確かに、其処にあったのだ。