花をちょうだい

花をちょうだい。貴方のかびろき胸に宿る、潮風に揺れる一輪を私に。


その昔、ここに人々が暮らしていたことを知る者は、もう私しかいないだろう。なぜ自分だけが取り残されたのか、そのわけを、私は今日も探している。

かつての有史の終わりに、地球はついに怒りを爆発させた。此処に存在した人間という存在を根こそぎ流し去るが如く、大洪水を起こして、争いばかりを繰り返す、その愚かな歴史に終止符を打ったのだ。

私は潮に曝され錆び切った、元高層ビルの階段を頂上まで上り、相も変わらず規則正しく暮れていく夕陽を、この日も独りで見送った。

もしこの場に詩人などがいたら、私を何と呼ぶだろうか――忘れもの、とでも名付けるだろうか。それも悪くない。


忘れものは探すためにある。そのことを貴方はそれこそ「忘れて」いるようね。私は、ずっとあなたを探してきた。陰惨な歴史のその後に、新たに始まる「次なる神の時代」を共に紡ぐ片割れとして。

貴方は、まさか自分が探されていることを微塵も知らずにいた。だからその日も、やはり潮にまみれて激しい軋みを上げるブランコを、誰にも憚ることなく揺らし続けていた。

地球は、激しい怒りの発散により消耗し、平穏な時を迎えている。それは、緩やかな破滅と同義だ。さらに、私は思うのだ――終焉とは、「黎明」の別の言い方なのではないか、と。

貴方はゆっくりとブランコから降りると、とぼとぼとまた、あのビルの階段を上り始めた。どうやらこの屋上が、貴方のお気に入りらしかった。だから、その場に私の姿を視認した時、貴方はひどく動揺していた。

「なぜ……」

久しく声を発していなかったのだろう、かすれ切った声で貴方は問う。

「説明なんて野暮でしょう」

私は告げる。歴史とは、時空とは、宇宙とは、滅びと再生を無限に繰り返しているのだ。それは、この地球とて同じ。

「花をちょうだい。貴方のかびろき胸に宿る、潮風に揺れる一輪を私に」

貴方はゆらゆらと私に歩み寄る。私には疾うに覚悟ができている。新しい世界を創り出すための、あらゆる痛みを引き受ける覚悟が。


自分だけが忘れられたのではなかった。私は――忘れる側だったのだ。かつての栄華も繫栄も、血塗られた全ての物語も忘れ去って、今まさに出遭えた片割れと、「次なる神の時代」を共に歩むために。

私は、私たちは、影を一つにするとそのまま、地平線に夕陽が容赦なく沈みゆくのを見送った。