朽ちた枝のように見えるこれは、実は魔法の杖なのだ。そのことを知っているのは、私と黒猫のルルルだけ。
一週間前、私は公園でその杖を見つけた。ベンチの隅に無防備に置かれていたのだ。大発見だった。だから嬉しくて、私はルルルと駆け寄った。そのとき、うっかり石につまづいて、あっけなく足首をひねってしまった。
果たして今、私は松葉杖を使っている。最初は慣れなかったけれど、今はとても役に立っている。松葉杖というのは非常によくできており、フォルムに一切の無駄がない。こうした日進月歩の技術には本当に頭が下がる。
魔法の杖は今、私の部屋に飾られている。これは魔法の杖に間違いない。手に取ってみると、ルルルがからかうように話しかけてくるからだ。
聞けば、ルルルはこの宇宙を創った「神」の残滓なのだそうだ。この宇宙は偶然という名の必然の偶発的で必須的な分裂増殖を繰り返し、いずれ臨界点を迎えて無に還る定めなのだという。
では、何のための宇宙なのか? その問いに、ルルルはこう答えた。
「暇つぶし」。
私はルルルの語る話を、しっかりとノートに書き留めた。
こうして8月31日の夜、ようやく私は宿題を終わらせることができたのだった。
◇
「新学期」という響きに、希望や期待を一切抱けないのはきっと、私だけではない。そのことを喜んでいいのかは、よくわからないけれど。
松葉杖をついた私をすれ違いざまに笑う者、過失を装って松葉杖を蹴ってくる者、憐みの視線を投げつけてくる者。なるほどルルルの言う通り、人間というのは実に多彩な愚かさに満ちている。
私は部屋に飾った魔法の杖を想った。それは確かに、折れそうになる私のこころの支えになっているのだ。