ありのみのうた

夏休みが始まっても、わたしはあんまり嬉しくない。宿題をたっぷり出されたし、算数ドリルなんて見たくもない。なによりわたしが一番苦手なのが、自由研究だ。何をすればいいのか、全然わからない。

夏休みは「休み」なんだから、勉強なんてしたくないよ。わたしは、久しぶりに会ったおばあちゃんにそう訴えた。

おばあちゃんは、会うと必ず、わたしの頭をやさしくなでてくれる。

「そうだね、思いっきり遊びたいよね。梨花りかは、なにをして遊びたいの?」
「えっとね、水の中に入りたい」
「梨花は水泳が好きだった?」
「ううん、ぜんぜん。プールの授業は苦手。泳げる子たちが、ビート板を使うのをバカにしてくるから」
「そう。でも、こう暑いと水の中に入りたくもなるわね」
「うん。だから裏の小川に行って、足だけ入れて、じゃぶじゃぶするんだ」
「だけどね、梨花。今は小川に近づいてはいけないよ」
「どうして?」
「水辺はあの世とこの世の通り道。今はお盆でしょう。この時期は霊魂がこの世に戻るから、霊に足を引っぱられてしまうの」
「ふーん」

おばあちゃんはお昼ご飯にそうめんを茹でるわね、と台所に向かった。背中のエプロンの結び目が、ぴしっときれいだった。

セミたちがじりじり鳴いていて、大きな鳥たちが空をすいすいと飛んでいる。広いお庭にはいろいろな野菜が植えられていて、毎朝採れたてが食べられるんだ。

いちばん好きなのはプチトマト。まんまるくてツヤツヤ、まるでルビーみたいで、頬張れば甘酸っぱさが口に広がる。

ショッピングモールやハンバーガー屋さんはないけれど、わたしはおばあちゃんの家がある、この町が大好きだ。特に夕方、山に沈んでいく太陽を見ていると、くらくら悩んでいたことを、わたしはすっかり忘れてしまう。

おばあちゃんが「そうめんのつゆに添えるから、大葉をとってきて」と言ったので、わたしはサンダルをつっかけた。

「ねぇ、おばあちゃん。そういえば大葉とシソって、どう違うの?」

わたしが不思議に思うことを、おばあちゃんは決してばかにしたり叱ったりしない。それから、絶対に答えを教えてくれない。

「梨花は、どう違うと思う?」
「むー」

わたしはそうめんをお腹いっぱい食べると、「大葉」「シソ」「大葉」「シソ」と繰り返し唱えながら、サンダルでおばあちゃんの家から飛び出した。きっと八百屋のおじさんなら、知っているはずだと思ったからだ。

八百屋のおじさんは、店先でわたしが「ごめんください」とあいさつすると、奥の居間からのんびりやってきた。たいてい読みかけの新聞紙を片手に持っていて、この時期は高校野球の記事が気になるみたい。いつもにこにこしていて、しっかり者のおかみさんと、この町で昔から八百屋をしている。

「おう、梨花ちゃん。また背が伸びたんじゃないかい」

おじさんにそう言われて、わたしは「うん」と返事した。

「おじさん。大葉とシソは、なにがどう違うの?」
「ほ。そりゃあ、考えたことなかったな。あれかい、夏休みの自由研究かい? なかなか面白いテーマだなあ」
「あっ」

わたしは、ひらめいた! そうだ、このことを自由研究にしよう。模造紙に大きくイラストを描いて、「大葉とシソの関係性」なんてタイトルをつけて。

「あら、梨花ちゃん。元気だった?」

おかみさんが首からかけたタオルでおでこの汗をぬぐいながら現れた。

「こんな何もない町に、夏休みのたびに来てくれてねえ」
「この町の梨花ちゃんくらいの年齢の子どもは、昼間みーんなバスに乗って山の向こうの隣町に行っちまう。まあ、あっちはいろいろあるからな。映画館だの、カラオケボックスだの」
「そうだ。梨花ちゃん、美味しい桃があるから、おばあちゃんと食べてちょうだい」

おかみさんが持たせてくれた桃はずっしりしていて、うぶげがほわほわ生えていて、甘い香りがした。桃は、麻で編まれた手提げ袋に二個入っていた。

「ありがとう!」
「よく冷やして食べてね」

おじさんが、「両手で包み込んで、流水に当てながら皮を優しくこするように洗うといいよ」と教えてくれた。

だから、わたしは早くおばあちゃんと一緒に食べようと思って、走って小川に向かった。

真夏でも小川の水はとても冷たい。わたしは川辺に座って、まず両足を小川に浸してみた。

ひんやりして、とても心地いい。足をバタバタすると、水しぶきが上がって楽しい。その音に合わせるように、澄んだ鳥の鳴き声がした。わたしは嬉しくなって、お気に入りの歌を口ずさんだ。

「どんぐりころころ どんぐりこ」
「どんぐりこ?」

わたしはびっくりして顔をあげた。すぐ近くに、お父さんより少し若く見える男の人が、わたしと同じように足を小川に浸しながら立っていた。

「『どんぶりこ』じゃなかったっけ」

わたしは恥ずかしくて、顔を真っ赤にしてしまった。

「まあでも、『どんぐりこ』だっていいのかもなあ」

その男の人は、まじめな顔でうん、うん、とうなづいた。初めて会ったはずなのに、なぜかわたしは全然こわいと思わなかった。

わたしは、自分の名前を言ってから、思い切ってその人に尋ねてみた。

「大葉とシソって、どう違うの?」
「……梨花、か。いい名前だ。お母さんはなんて名前?」
梨乃りの
「そうか……」

その人はわたしの質問に答える代わりに、目を閉じてゆっくりと、歌うように言った。

「ありのみに託した想い受け継いで迷うことなく幸せになれ」
「えっ?」
「これは、梨歩りほに贈った短歌なんだ。私は、あの子になにも遺せなかった。だからせめてこの歌をと、戦地から手紙を書いた」

わたしはびっくりした。だって「梨歩」は、おばあちゃんの名前だったから。

「妹は、梨代りよといった。私の家は代々、梨畑を守り育ててきたんだ。焼け野原になってしまったけれど」

それなら、わたしも聞いたことがある。その昔、戦争がひどくなって、おばあちゃんは、おばあちゃんのお母さんとこの町へ逃れてきたんだって。

「梨のことを『ありのみ』というんだ。言葉には、力が宿るんだよ。だからもし、つらいときや苦しいときは、その力を借りたらいい。そのためにも、勉強はしておいたほうがいいと思う」

その人は、優しく笑った。不思議だけれど、なんだかとても懐かしいような気がして、わたしもにっこりとした。

「桃、一緒に食べる?」

わたしが麻の袋から桃を取り出そうとすると、その人は首を横に振った。

「ありがとう。でも、もう私は大丈夫。こうして梨花に会えたから」
「ありのみに託した想い受け継いで迷うことなく幸せになれ」
「えっ。もう、覚えたのかい?」

今度は、その人——わたしのご先祖さまがびっくりする番だった。

「うん。だって、おばあちゃんに伝えたいから」
「そうか……」

ご先祖さまは、木漏れ日に目を細めた。わたしもつられて、樹々の隙間からのぞく青空に目を向けた。

「ねぇ、また会える?」
「私は、いつでも梨花たちと共に在るよ。時に風として、時に雨粒として」
「そっか」

ご先祖さまの姿は、もうそこにはなかった。

おばあちゃんの家に帰ったわたしは、台所でおばあちゃんに教わりながら、くだものナイフで桃を切った。その実は、ふっくらキラキラとしていた。もちろん、とっても甘かった。

わたしはおばあちゃんに、あの短歌を伝えた。するとおばあちゃんは、ぽろぽろと涙をこぼして、わたしをぎゅーっと抱きしめてくれた。

だから、わたしもおばあちゃんをぎゅーっとした。