第一話 しらない

(一)

あまりにも平和な日々が続くので、西郷直樹の喉は非常に渇いていた。平和、平和、平和。なんだろう。なぜ、この言葉にこんなにも吐き気を覚えるのだろう。通りすがりのやかましい女子高生の群れに、ほのかな殺意すら覚えてしまう。

西郷は、うんざりした顔で公園のベンチに腰掛けていた。餌を求めて鳩が近づいてきたので、左足で地面を蹴飛ばすと、鳩たちは慌てて飛び去っていった。見上げれば、ぽかりと白い雲の浮かぶ、のどかな青い空。

(ちくしょう。これじゃ自分はまるで阿呆じゃないか。)

家に帰れば口うるさい妻が待っている。人が疲れているというのに、身体ばかり求めてくるようなやつが。職場に行けば、嫌味な店長が鎮座している。人が額に汗しているというのに、涼しい部屋で成績ばかり求めてくるような輩が。

(明日もか。明後日もか。その後も、またその後も、自分はこんなつまらない日々を、繰り返すだけ繰り返して、年老いていくのか。)

つまらない。くだらない。それもこれも、阿呆みたいに平和なせいだ。

それを変えられるのは誰だ? 他でもない自分じゃないか。この憂いを止められるのは、自分しかいない。

西郷はおもむろに腰を上げると、街灯に設置された監視カメラを睨み返した。