「……まさか、若宮さんに教えてもらったの?」
「捜査に協力しているんだ。それくらい当然のことだよ」
若宮とは、警視庁八王子署に所属する刑事の名だ。
「全然知らなかった」
「言ってないからね」
美奈子は頬を膨らませる。
「秘密はナシって約束したのに」
「事後報告ってやつさ。雪、きみの真面目さも俺はちゃんと好きだよ」
美奈子は憮然としつつも、オムライスをぺろりと平らげた。
「美奈子ちゃん、お水のお代わりいる?」
声をかけてきたのはカフェ「プレイ・オブ・ローズ」の店主、小泉皐月だ。二人を常連として快く受け入れている彼女には、もう一つの顔がある。
かつて原宿で大流行した占いの館、「薔薇の祈り」の支配人にして稀代の占い師「ローズメイ」としてのそれだ。
テレビをはじめメディアへの露出もするなど多方面で活躍した皐月だったが、都会での生活に疲れ占い師としての現役を引退し、この街に小さなカフェをオープンした。
現在、表立って占い師の仕事はしていないが、皐月は裕明の「占い」の師匠である。いわく、
「チカラは正しく使う者にのみ宿るものよ」。
その皐月が美奈子のグラスに水を注ぎながらいった。
「星、ハート、クローバー、雫か。ずいぶんと趣味が可愛いのね、その殺人鬼」
「ちょっと、皐月さん!」
皐月はいたずらっぽく笑う。
「ごめんごめん。大丈夫、他言無用でしょ。でも、そんな重要機密をこんなカフェで話すのもどうかとは思うけど」
皐月の正論には美奈子も頷かざるをえない。皐月は鼻歌を歌いながらキッチンに戻っていった。
「若宮さんが直々にお願いに来たの?」
美奈子がアイスティーを飲みながら問うと、彼は軽く首肯した。
「蛇の道は蛇だとでも思ったんじゃない」
「そっか。もしかしたら犯人って、可哀想な人なのかな」
しかし、美奈子のその言葉に彼は首を横に振った。
「憐れみは無用だよ。暇人につける薬はないからね。そう思いませんか?」
彼は、明らかに西郷に話しかけている。西郷の頬を冷や汗がつたう。
「さきほどは、どうも」
そう返すのが精いっぱいだ。彼は突き刺すような視線を西郷に向け、こう言い放った。
「今夜は事件が起きないといいですね」
「そうですね……」
美奈子は訝しげな表情になる。
「星にハート、クローバーに雫。次は何でしょうね」
「さあ……」
「あ、次があるんですか?」
西郷の中で、何かが音を立てて弾けた。西郷はテーブルを乱暴に一度拳で叩くと、彼を睨み返した。
「何者だ、あんた」
「このカフェの常連客です」
西郷は、ここが静かなカフェの店内であるにも関わらず、かすれた笑い声を上げ、テーブルを何度も叩いた。
「いるんだよ。いるんだよ、あんたみたいな奴! 日常にさりげなく紛れてる、イジョウシャが。俺だってそうだ。あんたと同類だ。おかしいだろ、な?」
「いいえ」
彼は西郷と目も合わせずにコーヒーを一口飲んだ。
「あなたは異常なんかじゃありません。おかしくもありません。至って平和なかたとお見受けします」
平和。それは、西郷にとっての禁句である。
「平和だからこそ、平和に溺れ、平和を憎み、平和を壊そうとする。これは人間の正常な範疇の精神状態です」
「……『平和』は、俺の嫌いな言葉だ」
「そうですか」
美奈子はすっかり青ざめている。西郷は「イヒッ」と笑うと、ゆらりと木製の椅子から立ち上がった。しかし彼は何事も無かったかのようにホットコーヒーをすすっている。
「雪。今晩9時からあのドラマのスピンオフあるよ。『星見ヶ丘~もう一つの約束~』だって。観たがってなかった?」
「え、あ、うん」
西郷が近寄ってくる。それを全く意に介さない彼。西郷の上着からは何やらカチャカチャという金属音がする。西郷の上気だった表情が、美奈子にはとても不気味に感じられた。
西郷が上着の胸ポケットに手を入れる。美奈子は思わず身構えるが、キッチンの奥の皐月も彼当人も、動揺する素振りを一切見せない。
西郷が差し出したのは、自らの名刺だった。
「こういう者です」
美奈子が訝しげに覗きこむと、そこには『フリージャーナリスト 西郷直樹』の文字が載っており、ツイッターやフェイスブックのリンクも記されていた。
不自然な沈黙の後、美奈子が彼より先に口を開いた。