(三)
「もしもし、皐月さん。僕です、裕明。あの依頼、受けることにしました。落ちてもいいと、美奈子は言ってくれました。それで決心ができました」
電話の向こうで、皐月が長く息を吐いたのが聞こえてきた。
「覚悟はできたって意味ね」
「はい」
「保証はないのよ。戻ってこられるという保証なんてどこにも。それでも、本当にいいの?」
裕明のスマートフォンを握る手に力が入る。
「決めたんです。僕は、これまでずっと美奈子と一緒だった。だから、これからもそうしたいって」
それを聞いた皐月は、「わかったわ」と神妙な口調でこたえた。
「こっちも準備をするから、11時にJRの改札で待ちあわせましょう」
「ありがとうございます」
この日は、朝から蝉たちがやけに騒がしく大合唱をしていた。
いつかの誕生日に美奈子から買ってもらったポロシャツにファストファッションストアで手に入れたジーパン姿の裕明を改札に見つけると、皐月は「こっちこっち」と手を振った。
雑踏の中でも目立つ、長いスリットの入った黒のシースルーワンピース。胸元からはラメ仕様のスパンコールがちらりと見える。
それに大ぶりのサングラスと赤のエナメルハイヒールを合わせても服装にまったく負けないのは、さすがかつて一世を風靡した占い師の貫禄といったところだろうか。
「この時間なら一時間に4本は中央特快だから、焦らず行きましょ」
「はい、よろしくお願いします」
11時23分発の中央特快には余裕で座ることができた。電車は立川を過ぎると駅を飛ばしはじめる。通過駅にトップスピードで鉄の塊が進入するたび、どうしてこんな走る凶器がそばを過ぎるのに人が飛びこまない、人が落ちない、なぜそんなのんきな性善説を放置しているのだろうと、裕明にはそれが不可解でしかたないのだ。
ほかの乗客が軒並みスマートフォンをいじっているなか、皐月は車窓から外を見つめていた。
やがて電車が神田駅への到着をアナウンスする。次の停車駅は終点の東京だ。すっかり眠っているらしい裕明に、皐月は肩を軽く叩いて声をかけた。
「もうすぐ着くよ」
うっすらと目を開ける裕明。その視界に、対面に座っている小学校低学年と思しき女の子が抱きしめているポケモンのぬいぐるみが入ってきた。
「ぼくも、あれほしい」
目覚めた彼の第一声に、皐月は優しく微笑んだ。
「いいよ。東京駅のなかにポケモンストアがあるから、おしごと頑張ったら買ってあげる」
「ありがとう、さつきおばちゃん!」
「おねえさん、ね」