扇風機が静かに首を振って佇んでいる。芳子が遮光カーテンを引いてくれたおかげで強い陽光からは守られていた。
それでも、美奈子のひたいと首すじにはびっしりと汗が浮いている。ミンミンゼミの鳴き声がかすれて、一斉に鳴きやんだ。
部屋の扉がノックされ、芳子が氷の入った麦茶のグラスを持ってきてくれた。
「大丈夫? なんだかうなされていたみたいだけど」
「……大丈夫、です」
芳子は「そう」といってから、美奈子にこう伝えた。
「美奈子ちゃんのスマホがずっと鳴ってたの。皐月さんからみたいだった。そのあとすぐにこちらの固定電話にかかってきてね、伝言を預かってるよ」
「伝言?」
芳子さんは窓の外の青空にむくむくとわいた入道雲を見つめた。
「『彼が、落ちた』」
この暑さにもかかわらず、美奈子の背筋に冷たいものが走った。思い出したかのように蝉たちがちらほらと合唱を再開する。美奈子にはそれが幾重にもなって反響して聞こえた。
少しだけ、頭に鈍痛が走る。まるで前頭葉を誰かの手で押さえつけられているような不快な感覚。それは、何度味わっても慣れることのない、長年美奈子を悩ます不眠症の症状のひとつだ。
ふだん睡眠導入剤を使用しないと眠れない美奈子なので、夢などはここ数年来みていなかったから、今日このタイミングで現実と紛うような夢をみたことに、まったく意味がないとはとても思えなかった。
彼が、落ちた。
みなまで言われなくても、それがなにを意味するのか、美奈子にはわかっている。それを人々はどうして「奇跡」だとか「運命」などと呼びたがるのだろう。
奇跡でも運命でもなんでもいい、なんとでも呼べばいい。だが彼女の願いは、いつだってたったひとつだ。
(どうか私に、彼を愛し続けさせてください)
美奈子は膝の上でこぶしを強く結んだ。
最終話 きみはともだち へつづく