「あの人に逢いたい。逢いたいよ」
雪はなおも涙をこぼして訴えつづける。美奈子はひたすら彼女の手を握り続けた。
雪の口からは祈りのごとく厳かに言葉が紡がれる。
「私たちを、どうか私たちを許して下さい……!」
目の前で愛する人が泣いているというたったそれだけの現実に臨むとき、人はなぜ涙を流さずにはいられないのだろう。
美奈子は当の雪をさしおいて、場所をはばかることなく子どもみたいに声を上げてわんわん泣きだした。美奈子のそんな様子に驚いた雪は、一転してキョトンと美奈子を見つめた。
「あなた、どうして泣いてくれるの?」
「だって、悲しいんだもん」
「どうして?」
「だって、佐久間さんだって、悪くなかったのに。あなたのことを愛していただけなのに」
「……」
「悲しいよ」
「そう……」
「うわあ、あああーっ」
こんなにも、誰かが本気で自分のために涙を流してくれている。その果てのない慈愛が、雪の心をやわらかくほどいていく。
「あなた、優しいのね」
「そういうんじゃないもん。悲しいんだもん。だって、だって、ああ」
「……ありがとう」
雪はゆっくりと微笑んだ。美奈子はしゃくりあげつつも、必死に言葉を紡ぎ続けた。
「あなたにもちゃんと、名前があるんだよ」
「えっ」
「雪さん、ていうんだよ。空から降る白い『雪』って書くの」
「冬の、使者の、雪?」
「うん。佐久間さんが生涯でたったひとり、愛したのが雪さん、あなたなんだ」
「ゆき……」
「雪。白くてきれいな」
「私は、雪」
「うん」
「……雪」
バニラアイスの縁が溶けて、クリーム色の水たまりをガラス容器のなかにつくっていた。
涙でくしゃくしゃになった顔をぬぐい、美奈子はスプーンを手に取った。
「けっこう溶けちゃった。こんなにクーラーきいてるのにね」
そういってようやくバニラアイスをつつこうとする美奈子に、雪はそっと手を差し出した。
「あなた、名前は?」
美奈子は全力の笑みを浮かべ、彼女と握手をした。
「美奈子。高畑美奈子。よろしくね、雪ちゃん」
「よろしく、か……」
「そう。よろしく、だよ」
「私は、雪。今はこんなに暑い夏だから、消えてしまうかもしれないけど……」
「そんなことない」
雪は一度目をかたく閉じ、まぶたをゆっくりと開けるとまっすぐに美奈子を見た。
「私、あなたと友達になりたい」
「もちろんだよ。だから、『消える』なんて、ばいばいなんて、思わないでいいんだからね」
「そうかな」
「うん!」
はじけんばかりの美奈子の笑顔が、すべての答えだった。
「……ほんとうにありがとう、美奈子ちゃん」
存在の否定と承認の拒絶がいかに人を傷つけるかをよく知っている二人だ。その真逆、つまりは愛が、いかなるときも人に寄り添う力となることを、言葉にせずとも美奈子と雪はつないだ手のぬくもりで理解していた。
「あ、もうほとんど溶けちゃってる」
美奈子がそうおどけてみせると、雪はくすくすと楽しそうに笑った。
きっとこの笑顔を、佐久間も求めていたのだろう。美奈子はそう思った。
皐月が残していったのは千円札3枚だけではなかった。その下に「運命の輪」のタロットカードが正位置で置かれており、流麗な万年筆の筆跡でこうメッセージが記されていた。
たとえすべてを許されることがなくても、生きている限りにおいて、愛はあらゆる終止符に打ち克つ
by Rose May
「……愛してる」
そうつぶやいたのは、果たして「誰」だったのだろう。
エピローグ しあわせのかたち へつづく