美乃梨はなんというか、確信犯だ。いつもボディーラインがはっきりするようなスーツ姿で、特に胸元なんかはボタンが可哀想なくらいにボリューム感があるし、きっと肩こりが大変なんじゃないかと余計な心配までしてしまう。
さながら痴漢ホイホイだ。満員電車で万が一、美乃梨の胸元に手や腕が当たってしまった男性がいたら、私はその男性に大いに同情する。今日は白のブラウスにグレーのパンツルックでの参上である。いつ見ても、かっこいい。
「この前の下北沢の容疑者、まだ否認しているらしいじゃないですか」
捜査一課室に現れるやいなや、美乃梨は流麗な視線を竹中に向ける。
「あれだけの証拠が揃ってんだ。時間の問題だろ」
「往生際が悪い男は嫌い」
美乃梨がいうと、妙な意味に聞こえてくるから不思議だ。その色香で、これまで幾人もの男性を斬ってきたことは想像に難くない。
「それは、意味深だな」
竹中がため息交じりに言うと、美乃梨は表情ひとつ変えずに呟いた。
「自意識過剰です」
「言い方な」
早い話が、竹中は美乃梨に片想いをしている。そのことは、私が葉山に熱烈に恋をしていることと同じくらい、公然の秘密である。
二人のやりとりはいつも面白い。まるで長年連れ添っている夫婦の漫才のようだ。
「香織、なにをじろじろ見てんの」
美乃梨に言われて、私はニマニマとした。
「仲が良いんだなーって」
「ふざけたこと言わないでよ」
「ふざけてませーん」
仲良きことは美しきかな。
美乃梨とは高校時代からの長い縁だ。当時から高校生とは思えないグラマラスさと、群を抜いた運動神経と正義感の強さで、モッテモテ……なところを寄ってくる男子をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。ついたあだ名が「霊長類最強JK」。本人は全く気にしていなかったらしいが、傍にいた私は友人としていつもひやひやとしていたものだ。
さて、捜査一課室の皆さんが利用するトイレの掃除だが、時折私に順番が回ってくる。場所が場所なので清掃業者の出入りができないためだ。もうすぐ新たな事件の捜査会議が終わる予定なので、それまでにピッカピカにしておいてあげる。トレイ掃除というのは心の棚卸だ。磨けば磨くほどに気分がいい。
掃除と同時に、不審物がないかどうかのチェックも行う。たまに、リアルに盗聴器の類が見つかることがあって、改めて「そういう場所」なんだなと実感をする。
個室を一つずつ丁寧に掃除していくのだが、奥のほうからなにやらしゃくりあげるような声が聞こえてきた。はて、誰か個室に籠城して泣いているのだろうか。
「すみません、掃除入りまーす」
そう声をかけた途端、その声は止んだ。
「あの、よかったらそのまま泣いてて下さい。その個室はあとで掃除しますから」
応答はない。
私は、ほとんど野生に近い勘で、ためらいなくその個室のドアを引いた。
ここは女子トイレである。大切なことだからもう一度いう。ここは女子トイレである。
そこにいたのは、捜査資料として配布されたパワーポイントのプリントアウトを握りしめた葉山だった。
「……何してるんですか。……って、訊いてもいいもんですかね、この場合?」
「いや、あの、これは」
プリントアウトされているのは、被害者の遺体をあらゆる角度から写した写真だった。それを握りしめて、個室で、しかも女子トイレで、何をしようとしていたのだろう。というのは愚問か。
「会議室を出て左側が男子トイレですが」
「はい」
「こちら会議室を出て右側の女子トイレになります」
「はい」
「私には今、悲鳴を上げる権利があると思われます」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「でも、この一件は、黙ってあげます」
葉山の、窮地に追い込まれた仔猫のような表情もまた、なんとも可愛らしいからずるい。私はすかさず取引を開始した。
「じ、条件は……?」
「話が早いですね。じゃあ、もう一回、私とデートしてください」
「え、それでいいの?」
「ただし、この前みたいな映画デートじゃありません」
「どこへなりとも、なんなんりと」
私は、とっておきの笑顔を葉山に向けた。
第三章 予感 へつづく