トイレの一件以降、葉山はどこか覇気がないように感じられた。なんとなく頬杖をついたり、せっかくお茶を淹れても飲まずに放置したり、そんな時間が増えたのだ。
「香織、ちょっといい?」
給湯室で茶葉を捨てていた私に、美乃梨が話しかけてきた。
「いいよ。なんか給湯室で雑談って、OLっぽくない?」
「そんなことより。香織のダーリンのことなんだけど」
「やだなぁ、まだちゃんと告られてないってー」
「そうなの? まあいいや」
「なに?」
美乃梨は声をひそめて、こんなことを言った。
「葉山さん、何かあった? 今まで以上にぼーっとしてるんだけど」
「もともとマイペースな人だよ」
「そうじゃなくて、捜査資料をじーっと見たまま固まってんの。遺体の解剖所見とかね。てっきりびびってんのかと思いきや、どうもそうじゃないみたいなのよ」
「うん、そういう人だから」
「なにそれ。香織はそれでいいわけ?」
表情を険しくさせる美乃梨。それに対して私は、あっけらかんと返した。
「いいも悪いもないよ。ありのままのあの人が、私は好きなだけ」
美乃梨は長いため息をついた。
「気をつけなよ」
「忠告どうも。美乃梨も、ときどき第二ボタンあたりがはち切れそうだから服装選びには気をつけて。竹中さんが仕事に集中できなくなっちゃうよ」
「もー、私は香織を心配してんの!」
「はいはい、ありがとうね」
今回のデートは、雑音の少ないソファダイニングバーを選んだ。間接照明だけの地下空間、雰囲気はばっちりである。お互いにカクテルをオーダーした。彼がソルティドッグで、私がスクリュードライバー。
「引き延ばしても意味がないから、単刀直入に言いますね」
「うん」
「私、葉山さんのこと好きじゃないですか」
「……そうなの?」
「何度も言わせないでください。でも、私は葉山さんの好みじゃない。今のところ」
「……いや」
私はスクリュードライバーを一気に飲み干して、長く息を吐いた。
「捜査会議中に上の空、美乃梨が気にしていました。間違いなく、葉山さんは欲求不満です」
「だから、そんなんじゃないって」
「これ、要ります?」
私が差し出したのは、USBメモリだ。
「父のコレクションからコピーしたものです」
「まさか、機密情報的な?」
「機密というか、まあ捜査情報ですね」
「それ、だめなやつ……」
「要りません?」
私はとっておきの笑顔を葉山に向ける。
「歴代の未解決事件情報と蔵出し画像」
「えっ」
やっぱり。わかりやすすぎるんだ、この人は。
「いっておきますけど、無修正ですから。そのことは、伝えておいた方がいいなって思って」
「それ、ください」
頭を下げる葉山にUSBメモリを渡す。受け取ったからには、彼には中のデータを閲覧する権利と責任があるはずだ。間違いなく、彼は「行動」に出るだろう。
「念のため、パスワードをかけています。思い当たる単語を入れてみてくださいね」
カラになったグラスを、私は指で弾いた。
第四章 まさか へつづく