第七章 夢の機械

デートの待ち合わせと呼ぶには、微妙な場所を選んだものだ。JR青梅線東中神駅。きらびやかとはとても言えないし、どちらかというと閑静な住宅街である。

中央線で立川まで行って、乗り換えてさらに西へ向かったので、移動だけでもひどく時間がかかった。どうしてこんな場所に……。

いや、今の僕には若宮に抗う術などないのだ。キスまでされては、首根っこを押さえられているも同然だ。僕の出処進退は、いや生殺与奪は若宮の手中にあるといって過言ではない。

どうしてあの日、トイレの右と左を間違えてしまったのだろう。個室の位置で違いがわかってもよかったはずだ。せめて青とかピンクでピクトグラムがデザインされていればよかったものを、ナチュラルデザインだかなんだかで、どちらもブラウン調だったのがよくなかった。……いや、「資料」にあんな写真を配るほうが良くない。

いや、そのどちらでもない。

自分の性癖がいけないのである。

わかっている、わかっているからこそ、不純極まりない動機で僕は刑事になったのだ。

しかし、やっかいな人物に目をつけられた。若宮香織は他ならぬ警視総監の一人娘である。邪険に扱うことはもちろん、手を出すだなんて到底考えられない。それ以前に、僕にだって選択の権利というものがあろう。

「また難しい顔してる」

人の思考に土足で闖入するのを、どうしたら角を立たせずに咎められるだろうか。

「そうかな? 別に」
「何を考えていてもいいんですよ、葉山さんは」

つくづく、不思議な娘だ。

「それじゃ、少し歩きますけど」
「どこにいくの」
「極秘の内部閲覧会です」
「うん?」

東中神駅から15分ほど歩くと、見えてきたのは「東日本成人矯正医療センター」だった。ここが医療刑務所であることは僕も知っている。

「会ってほしい人がいるんです」

若宮はいう。

「話は通してあるんで、警察手帳の提示をお願いします」

正門をくぐるときと、やたらと広大な敷地の奥にある建物に入館するときにだけ敬礼をした。入ったのはセンターの本館ではなく、別棟の建物だった。若宮が迷うことなくまっすぐに向かったのは、とある囚人の収監されている部屋。

昼間なお暗い、その檻の向こうに一人の男が、亡霊のように佇んでいた。

「あ、今日は起きてる! ラッキー」

場の雰囲気にまるでそぐわない若宮のテンションが、彼女の跳ねっかえりっぷりを象徴しているかのようだ。

僕は息を飲んだ。晩秋だというのに額にはうっすらと汗をかいている。

「紹介します。こちら元死刑囚の渡瀬孝輔さん。葉山さんはご存知ですよね?」

知らない。会ったことがない。だがしかし、その名前には、僕は見覚えがあった。

「知らないとは言わせませんよ」

若宮がにっこりとほほ笑む。

「5人もの命を奪ったシリアルキラーです」

そうだ。2004年に起こった連続殺人事件、その犯人の名が確か――

「じゃあ、今日の趣旨をご説明しますね」

僕が軽く会釈すると、渡瀬がはじめてこちらに視線を向けた。

なんという目をしているのだろう。

伸び散らかした髪の毛のすき間から見える落ちくぼんだ瞳には、淀んだ光がとろとろと灯っている。

「えっと、『元』というのには理由があって」
「……また来たの、香織ちゃん」

渡瀬が声を発すると、若宮は「はーい」とだけ返事をした。

「かわいいよね、香織ちゃん……殺したいくらい」
「はいはい」

渡瀬の声色に、僕はゾッとした。いやに穏やかな声なのだ。

「建前上は終身刑。渡瀬さんはここでさまざまな作業に従事されていらっしゃいます」

そういって、若宮はバッグからタブレット端末を取り出すと、突然プレゼンを始めた。

「えっと、死刑はよくないという声もあり、死刑じゃ生ぬるいという声もあり、じゃあもう死刑なんていらないんじゃね? ということで、某所で秘密裏に検討されていた事案がありまして」

若宮が僕に示してきたのは、低周波治療器のような機械の写真だった。

「こちら、疑似出産体験マシーンです」
「なにそれ?」
「世の母親たちが経験してきた出産時の痛みを、誰でも経験できるようにした夢の機械です。死刑がだめなら、手前が奪った命を生み出す苦労を体験していただこう、ということでですね」

若宮がそこまでいうと、渡瀬が「くくっ」と笑った。

「あらら、そんな余裕はいつまでもつでしょうか?」

若宮は渡瀬に負けじとプレゼンを続ける。

「こちらレベル1から10までの嬉しい十段階設計。8割がたの男性はレベル3でギブアップします。レベル8まで我慢したとある国の男性は、昏倒して病院へ搬送されました」

若宮はニッコリ笑っていった。

「渡瀬さんにはもちろん、ボリューム・フルで体験していただきます」

僕の冷や汗が額に滲む。さっきからこの娘は、何を言っているのだろう。

「香織ちゃん。そんな脅しで俺をどうしたいの?」

渡瀬の言葉に、しかし若宮は動じない。

「脅しじゃなくて、予告です。でも、いつ執行されるかはもちろん内緒です」

若宮は檻の向こうの渡瀬と対峙すると、わざとらしくウィンクした。

「ちなみに。この機械で体験できるレベル10というのは、実際に母親が経験する痛みの5分の1に過ぎません。つまり、実際にはこの世にはレベル50が存在するということです。渡瀬さんは5人殺しているので、5回、特別にレベル50を経験していただきます。万が一の際は、事故ということで処理させていただきますので、どうぞご安心ください」

この子は一体、何者なのだろう。僕はおそるおそる渡瀬のほうを見た。渡瀬はひきつった笑みを浮かべたまま、力なく壁にもたれかかっていた。

殺人罪の処刑が出産の痛みの体験とは、とんだ発想の転換である。

「ね、わかっていますよね、葉山さん?」

ふり返った若宮は、ちょこんと首を傾げた。

なにを『わかっている』のかを、問うことはとてもできなかった。

第八話 ご予定は、殺人ですか? へつづく