「クリスマスイブのご予定は、殺人ですか?」
単刀直入な若宮の質問に、葉山は持っていたマグカップを落としそうになった。
「な、何を言い出すのかと思えば、人聞きの悪いこと言わないでよ」
「それとも、私とデートしませんか」
若宮のわざとらしいウィンクに、葉山はただたじろぐばかりだ。スキップをするように給湯室に香織が去っていく。背後から竹中が声をかけてきた。
「イブデート、いいじゃんいいじゃん」
「よくない」
「他人事はどこまでも楽しいもんだよな」
「お前な……」
クリスマスイブ、いつもの事務員服姿から白のセーターと淡いピンクのプリーツスカート、ロングブーツにベージュのカシミヤのコートを合わせた若宮をみて、さすがにかわいいと葉山は思った。
「かわいいですか、私?」
「うん」
あっけなくそう言われると、それはそれで悔しい。乙女心というのはつくづく複雑なものだ。
「それとも、死体とデートしたかったですか?」
「えっ!?」
その驚きが答えだろう。若宮は落胆を覚えながらも、気を取り直して葉山の腕に自分の腕を絡ませた。
「私でごめんなさい」
「いや、別にそういう意味じゃ」
「フォローはいりませんって」
若宮が予約していたカフェは、個室タイプの静かな空間だった。席についてホットのカフェラテを二つ注文し、一息ついた頃に、若宮がこんなことを言い出した。
「見れました? あのUSBメモリの中身」
「……うん」
「よかった。こっそりコピーした甲斐があるってもんです」
葉山は、ためらいがちに、こう呟いた。
「どうして、あの数字を、きみは?」
すると若宮は「父の職権濫用です」とだけ答えた。こうなってはもう、葉山の首根っこは若宮の手の中といって過言ではないだろう。
「どうでした、満足してもらえました? 私もコピーの際に少し見たんですけど、しばらく焼き肉が食べられなくなりそうでした。ああいうのが好きなんですね」
気恥ずかしさから、葉山はわざとらしく咳払いをした。若宮はそんな葉山の様子を、嬉しそうに眺めている。
「明日クリスマスなんで、私からプレゼントがあります」
「あっ、ごめん。僕は準備がなくて」
「私からのプレゼントを受け取ってくれることが、何よりのプレゼントです」
若宮はそう言って、にこりと微笑んだ。これは何か裏があると、葉山は思わず身構える。
「やだなぁ、そんなに警戒しないでください。悪い話じゃないはずです」
運ばれてきたカフェラテを一口飲んで、若宮が切り出したのは、葉山にとって意外すぎる提案だった。
「私を殺してください」
「えっ?」
「どうしても誰かを手にかけるなら、私にしてほしいんです」
若宮からのプレゼントは、常軌を逸していた。大きめのハンドバッグから赤いリボンのかけられた白い箱を取り出すと、「受け取ってください」と促してきた。恐るおそる手に取ると、中身が何であるかはすぐにわかった。この重量感と緊張感は、間違いない。
——拳銃だ。
「若宮さん、きみは一体……?」
「約束ですよ。ちゃんと『私』を惨殺してくださいね」
「えっと」
「難しいことは考えなくて大丈夫です。私は、葉山さん好みの私になりたいだけですから」
――君が生きているせいで、僕が君を愛せないというのなら。君が、生きているせいで。
「それをいつ、どう使うかは葉山さん次第です」
若宮が天使のように微笑む。
「ただし、人を殺した人間がどのような処遇に遭うかは、すでにお示しした通りです」
いや、もしかしなくても、この娘は、悪魔だ。
「受け取ってください。そしていつか使うときには、必ず私に使ってください」
窓の外のイルミネーションが滲んでいる。予報はずれの雨のせいだ。今は小雨だが、この様子だと本降りになりそうだ。
「葉山さん、少し外を歩きましょうか」
「雨の中を?」
「ええ」
事件や事故がクリスマスイブを忖度するわけがない。竹中はこの日も、タバコをふかしながら残業をしていた。
同僚がのん気にイブデートに繰り出したせいもあって、いつもより機嫌が斜めである。そこへきてタバコの在庫が切れてしまった。
小さく舌打ちをする、その背後からすらりと腕が伸びてきて、タバコを差し出してきた。
「セブンスターじゃないですけど、いいですか?」
美乃梨である。
「高田さん、タバコなんて吸うんだっけ?」
「ええ、たまに。誰かさんの影響で」
「……うーん、その『誰かさん』に、俺は嫉妬するな」
竹中が笑うが、美乃梨は真剣な表情だ。
「自分に嫉妬するなんて、器用な人ですね」
「え?」
美乃梨は、わざとらしく竹中に背を向けた。
「純愛なんて、厨二病も甚だしいと私は思っていますが」
「うん?」
「どうせいつか死ぬのなら、本当に好きな人に殺されたいと願うことは、ある種の純愛かもしれません」
「高田さん、どうしちゃったの。らしくないよ」
美乃梨は振り返ると、寂しそうに笑った。
「香織は、ちゃんとその願いを叶えるみたいですよ」
新宿駅の新南口からイルミネーションの続く道を抜け、高島屋の裏手に出ると一転してひっそりとした路地に出た。雨のせいかクリスマスイブにも関わらず人通りはまばらで、すれ違うカップルもそう多くはなかった。
傘もささずに二人で歩く、その足取りがまるで羽のように軽やかで、どこか踊っているかのような雰囲気すら醸し出している若宮のあとを、葉山は少し戸惑い気味についていく。
軽やかに振り返り、若宮は歌うようにいった。
「私が死んだら、愛してくれますか?」
「なんてことをいうんだよ」
「本当のことです。私がこうして生きている限り、私は葉山さんに愛してもらえない」
「そんなこと……」
「あります。でもいいんです、それで。私が葉山さんの精神的貞操帯になれるのなら」
虫も殺さぬ顔をしてこの娘は、とんでもないことを言う。
雨に濡れた舗道に、街灯に照らされた二人の影が揺れる。葉山と若宮は、しばらくのあいだ見つめ合っていた。いや、対峙していたと表現したほうが正しいかもしれない。
雨が強くなってきた。若宮はにこりとほほ笑むと、「それ、使いたいですか」といった。
葉山の胸元には、冷たい鉄塊がずしんと主張している。
そのコートが血で汚れるきみの姿を想像してしまって――僕は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「いいんですよ。私は、葉山さん、そのままのあなたが好きなんですから」
思い出すのは、初めて衝動に心身を任せたあの夏の日。夏なのにやけに薄暗くて、ヒグラシの鳴き声が本当にうるさくて――
目を閉じる葉山。右手がおもむろに胸元に差し込まれる。脳裏に蘇る、USBメモリで閲覧した残酷な画像の数々。その中の遺体の一つが、手招きしているように見える。血まみれの左手が、ひらひらと。
「どうぞ」
くるりとその場で一回転してみせる若宮。まるで愛の告白を待っているかのようだ。
葉山は、ゆっくりと目を開いた。
小さいころから、たくさんの殺人者に会ってきました。彼ら彼女らのバックボーンは実に多種多様なものでしたが、ひとつだけ共通点がありました。
それは目です。殺人者には共通した目の色があるんです。もちろん、視力検査などの類でわかることではありません。これは、ただの私の感覚、勘です。でも、確かに私にはわかるんです。そういう目をした人たちがいるってことが。
そういう目をした人を好きになってしまったという現実を、どう受け止めていいのか、自分でも、まったくわからなかった。
だから、託すしかないと思ったの。
あなたに、運命とやらと預けるしかないって。
「ね、私ってとんだワガママでしょう」
葉山の手が一瞬だけ震える。指先にその感触を確かめると、葉山はゆっくりと胸元から拳銃を抜いた。
第九章 選択と決断 へつづく