第十章 純愛とか笑わせんな

竹中に引きずられるようにして、葉山は遺体安置室へと姿を現した。雨に降られたことを差し引いても、心身ともにぼろぼろといった表現が相応しい風体だ。

白い布のかけられたベッドが一台、中央に置かれている。そばでは、座ってうつむいた美乃梨が涙を拭っていた。

「遅かったじゃないですか」
「すまん。こいつが落ち着くまで時間がかかった」

竹中がそういうと、すっかりうな垂れた葉山が、ゆっくりとベッドに近づいた。

「香織は、望みどおりに死んだわ」

美乃梨の口調はどこまでも冷徹だ。

「好きな人に殺されるなんてマンガみたいなこと、本当に起こしちゃうんだもん。香織らしいわ」

横たわる若宮に触れようとした葉山の手を、美乃梨は強く制した。

「あなたに、触れる資格なんてない」
「う……」

竹中はため息をついた。

「これでわかったか? 自分が何をしたか。これが、現実だ」
「嫌だ」
「嫌だも何も、お前が自分で招いたことだろ」
「若宮さんが死んじゃったなんて、信じたくない」
「お前が、殺したんだ」
「嫌だ……!」
「じゃあ、生きてりゃ愛することができんのかよ」
「僕は!」

葉山が、堰を切って言葉を吐き出し始めた。

「ずっと自分が異常なんじゃないかって、異常者なんじゃないかって、怯えて生きてきた。刑事になった志望動機だって、竹中、お前の言う通りだよ。死体をたくさん見たいから、無残な遺体を見たいから刑事になったんだよ! おかしいだろ。おかしいんだよ。僕みたいなやつこそが死ぬべきなのに、それなのに、この子は、ありのままの僕が好きだとずっと言ってくれていた。信じられなかった。僕みたいな人間が、誰かから愛されるなんてありえないことだから。ずっとそう思ってきたから。でも、この子はずっと、そんな僕だから好きだと言ってくれていた。信じられなかった。けれど、本当だった。だから、僕はこの子のことを、生きているうちに信じるべきだったんだ……!」

「まさに純愛ね」

美乃梨がそう言い放つと、葉山は食って掛かるように「何が純愛だ!」と叫んだ。

「純愛とか笑わせんな。ただ僕は若宮さんをありのまま愛したかっただけだ!」
「それが純愛ってやつだろ。今の言葉に嘘はないな、葉山」

竹中が厳しく詰問する。

葉山はその場に崩れ落ちた。

瞬転、美乃梨のスマートフォンから間の抜けたジングルが遺体安置室に鳴り響いた。

ベッドにかかっていた白い布が翻って、死んでいるはずの若宮が、ベッドの上でピースサインを出しつつ、なにやら書かれた紙を葉山に掲げている。そこには、一言、こう書かれていた。

大 成 功 ☆

「これではっきりしましたね。いざ私が死んでしまったら、葉山さん、あなたは悲しむどころか取り乱す。そして生きている私のことも、愛してくれるってことが」

白い布がばさっと、茫然自失の葉山の上に降る。「じゃじゃーん」とジングルを口ずさみながら軽やかにベッドから降り立つ若宮。白い布ごと、若宮は葉山を抱きしめた。

「嬉しい! こんな私でも愛してくれるなんて!」

しばし、奇妙な沈黙が立ちあらわれて、その場を支配する。

演出のために点けられた蠟燭の炎が美乃梨によって吹き消されると、部屋は一層薄暗くなった。

香織の抱きしめていた葉山の体が、おもむろに震えはじめる。

「……葉山さん?」
「あ……――」
「おなか、すきました?」
「ははは……」

葉山はまるで泣いているみたいに笑っていた。

「ははははは! あはははははは!」

若宮がむんずと布を掴んで放り投げると、そこには憔悴しきって身をかがめる葉山の姿があった。

「嗤ってくれよ。みんなして、僕を騙したんだろ。可笑しいだろ、嗤えよ!!」
「……ったく」

竹中が、押収した拳銃の持ち手で葉山の頭を小突いた。

「頭を冷やせ、馬鹿が。いくら若宮さんが立場を悪用したって、実弾までは用意できないことくらい、少し考えればわかるだろうが」

葉山が放ったのは、ただの空砲。そこへ若宮が渾身の演技をしてみせたというわけだ。

「そういうこと。騙され上手だね、葉山さんは」

若宮が無邪気に葉山を抱きしめる。やはりこの娘は、天使の顔をした悪魔かもしれない。

「竹中さん、美乃梨、ご協力ありがとうございます」
「大したことはしていないわ」
「ああ、お安い御用だ」

若宮が葉山を促し、二人は向かい合って立つ。若宮が葉山の両肩に手を置く。

「さあ、葉山さん。私のこと、愛してくれますか?」

改めての告白を迫る若宮に、葉山はゆっくりと顔を上げた。

それに応じるように、若宮は、そんな葉山の頬を両手で包む。

葉山は、気まずさやいたたまれなさ、気恥ずかしさといった感情がない交ぜになった複雑な気持ちより、大きくてあたたかな安堵が若宮の体温によって自分の中で上回っていくことを感じていた。

「僕は、きみを……」
「はい!」

人は、許し許され生きていく。生きている限り、自分の性癖からは逃れられない。それがもし、自分をひどく責めるものであったとしても、誰かに――愛する人に、受け止めてもらえたのなら。

葉山はいった。

「いつか、僕はきみを殺してしまうかもしれない。それでも本当にいいの?」

すると若宮は、とっておきの笑顔を浮かべ、こう返答した。

「そのときは、ちゃんとめちゃくちゃに惨殺してくださいね」

エピローグ きみが生きているから へつづく