3 紅茶

「この枯葉の入った缶はなに?」

珍しく僕の家事を手伝っているアオが、掃除の際に見つけたのは小ぶりの茶筒だった。戸棚がわりに使っている、かつて書類を仕舞っていたキャビネットの中にあったため、ほこりをかぶらないでいたようだ。

アオがふたをあけると、中にはルフナの茶葉がひとすくいほど入っていた。

「それは、枯葉じゃないよ。お湯を注ぐと美味しいお茶が飲めるんだ」
「でも、枯葉にしか見えないけどな」
「言われてみれば、茶葉は枯葉かもしれないね」

僕は知る限りの茶葉についてのことをアオに伝えた。チャノキの葉や茎を用いていること。大きく分けて酸化発酵を行わせた紅茶と行わせない緑茶があること。かつて人々はそれらを嗜好し、「喫茶」なる言葉があったこと。

そして現在、そのチャノキはこの世界でほとんど存在していないこと。

「それって本当に美味しいの?」
「もちろんさ。誰かを想って淹れる一杯は、間違いなく美味しいんだよ」
「ふーん」

地面がざくざくとえぐられる、鈍い音が庭から聞こえる。ゼロイチが「作業」しているのだ。打ち捨てられて干からびていた天使の遺骸を回収した彼女は、黙々と土を掘っている。

「ゼロイチは、暇なの?」

アオの言葉などゼロイチは気にも留めず、ひたすら遺骸のために硬い地質と闘っている。

「真逆だよ。忙しいんだ、違いない」

アオが窓から顔を突き出すのにつられて、僕もそちらを見た。確かに、違いなかった。

ゼロイチの頬は、涙で濡れていた。

その昔、クリニックとして使用していた名残が掃除中に出てきた。厚さが3センチはあろうかという2リングファイルは、カルテだった。ここはかつて内科と歯科を併設したメンタルクリニックだった。

なぜ精神科が歯科と内科を併設していたかは、どこかの文献で見たことがある——[頭のおかしい奴は、ワンストップ処遇が望ましい。社会にとっても病者本人にとってもメリットである。また、医院の利益にも直結する]。実に吐き気のするような考え方だった。

真実がどうであったかは問題ではない。僕がこのことを真実として認識しているかどうかが問題であって、同時にそれがこの世界では真実となる。

これこそが、「記憶保持者」としての僕の役目なのだ。

いつのまにかアオが台所に移り、何かしていたようだが、それよりも僕の興味を奪ったのは、カルテのファイルを数枚めくったページに掲載されていた、患者の顔写真であった。

「緑川 ゆう」とインデックスされたページには、ゼロイチと瓜二つの、しかし顔じゅうにあざを作った少女が、カメラレンズを射抜かんばかりの眼光を向けている写真が貼られていた。

僕は思わず口にてをあてる。思案を試みたが、突然何か硬いものが激しく軋んで裂けたような、腹に響くような重低音がした。驚いて庭へ行こうとしたのだが、それをかき消すようなゼロイチの怒号が聞こえてきたものだから、僕は物陰に身を縮こませてしまった。

「あんたたちのことは、絶対に許さない!」

アオとケンカでもはじめたのだろうか。そう思いかけてアオが台所にいることを思い出した。ゼロイチは誰に向かって叫んでいるのだろう。

「許すだの許さないだの、そんな権限がお前にあると思うの?」

聞こえてきたのは、艶やかなアルト。しかしとても怜悧な響きを醸し出しているその声が続けて聞こえてくる。

「罪は罪。神は神。ただし、天使は別。さて、天使と書いてなんて読もうかしら」
「知るか! 死を忘れたあんたには、わからないんだ。喪うことの悲しさなんて、わかるわけないんだ!」
「欠損的な表現はよくないわよ、ゼロイチ。私はお前たちと違って死を超えたの。悲しみなんてなんの役にも立たない。わきまえなさい、天使の分際で」

僕は瞠目した。跳ね上がる鼓動をどうにか抑え、ゼロイチに気づかれぬよう庭を覗いた。

そこには、まるで喪服のように真っ黒なレースのワンピースに身を包んだ、僕と同じ年齢くらいの女性が凛と——いや、どこか冷酷な雰囲気を滲ませて立っていた。

「ケンカは良くないよ」

僕は驚きを通り越してめまいを覚えた。突然の来訪者を全く気にすることなくアオが庭へ現れると、クローバー柄のマグカップをゼロイチにぶっきらぼうに差し出した。

「早く受け取ってくれない? ちょっと熱いんだけど」
「なにさ……!」

ゼロイチはアオを睨もうとしてハッとした。マグカップの中には、アオが我流で淹れたホットのブレンドティーが注がれていた。アオの肩でノイが鈴のような鳴き声をゼロイチに向ける。

「味は保証しないよ」

アオがそういうと、マグカップを引き取ったゼロイチは香りをかいで、

「まずそう」

と精いっぱい毒づいてみせた。

4 柿 へつづく