その女性は僕が淹れた紅茶を一口飲んで、食卓テーブルとセットの木製の椅子で脚を組み替えた。
「ベルガモットがまるで飛んでる。白湯の方がまだマシね」
「それはどうも」
「褒めてないわよ」
「わかってます」
さっきからノイの様子がおかしい。金管楽器のように美しいはずの鳴き声が、錆びて軋んだ金属がこすれるように耳障りなのだ。
「ノイ、どうしたの」
アオが不機嫌そうに話しかけても、ノイは喉の奥を苦しそうに震わせるばかりである。
「ゼロイチに何かご用ですか」
「ご用もなにも。不良品の回収と処分に来ただけよ」
「不良品とはゼロイチのことですか」
「他に誰がいるの? そこのボーヤは天使には見えないけど」
僕の顔色がさっと赤くなったのを、アオは見逃さなかった。
「ケムリ、落ち着いて——」
アオが言い終えるより早く、金切り声を上げたノイが女性にくちばしから突っ込んだ。女性はそれを造作もなく手ではたき落とし、墜落したノイは床にひしゃげて死んだ。
「あっ!」
アオが悲鳴を上げた。僕は立ち上がってすぐに胸ポケットからペンライトを取り出し、くちばしからどす黒い液体を噴いたノイの遺骸にひかりをあてる。
するとノイだった肉片がまたノイを形成していく。まるで何事もなかったかのように、ノイは再び羽ばたいてアオの肩にとまった。
一連の様子を見ても女性は動揺しない。それどころか、肩をすくめてため息をついた。
「あなた、ずいぶんとつまらないことをするのね。名前は?」
「……ケムリ」
「あっそ」
「名前をきく時には自分からまず名乗るのが礼儀じゃないですか」
「礼儀? そんなものいつどこで役に立つのよ」
アオはノイを両手で包み込むようにして抱いている。「ランパトカナル、ランパトカナル」と何度も声をかけている。実際、怖かったのはアオのほうだろう。
目の前で死を見せつけられたのだ。しかもその死はすぐになかったことにされる。この世界ではすでに「死」は「暇つぶし」に近い意味合いで使われているように思う。
僕は庭の柿の木にもたれかかったままのゼロイチのことも気になって、窓の外を見た。
「ゼロイチ。大丈夫だから、お入りよ」
「嫌だ」
この強情さは「生前から」そうだったのだろうか。僕はそれでも彼女を手招いた。
「大丈夫だって。この人は君を処分なんてしに来ていないよ」
僕がそういうと、黒服の女性はあからさまに表情を硬くした。
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「あなた、もしかしなくてもお名前をお忘れですね? ご自分の」
アオがぽかんとした顔で女性を見る。ノイがころころと鈴のような声で鳴いた。
「では、あなたを暫定でミズと呼びます」
「は?」
怪訝そうな女性に、僕は畳みかけるように続けた。
「ミズ。ここへきた本当の目的は?」
「……あなた、人間の分際で何様なの」
「別に。ただこの土地で穏やかに暮らしたいと願う凡人です」
「違うよ」
口を挟んだのはアオだ。
「ケムリは凡人なんかじゃない。とんだ変人さ」
「アオ。どういう意味だよ」
「そのままの意味」
ミズはテーブルに強く手をついて音を立て僕らを牽制した。
「どうでもいいわよ。どうでもいいの。なにもかも、もうどうでもいいの。一切の質問は受け付けない。それを条件に、ひとつだけ教えてあげる」
なにかと上から目線なのは、文字通り神々が天高い場所におわすからだろうか。
「ケムリ。あなたにならこの意味が分かるわよね?」
「なんですか」
「『ヘブン』が、消滅した」
僕は、全身が心臓になってしまったかのような激しい動悸を覚えた。目の前がひどく、くらくらとした。よろめいた僕の視界には、柿をもぎりとってかじっているゼロイチの姿が入ってきた。
5 オムレツ へつづく