「ソイチャイティーラテのホットを頼みたかったのです」
僕の彼女は、落ち込んだ様子を見せながらもチャイティーラテのアイスをストローで勢いよくすすった。4月にしてはやけに肌寒い日。そろそろ桜も散りはじめだが、「散り際の花も趣があります」と彼女が言うので、千鳥ヶ淵の散策に繰り出した。
桜のピークに比例するように、人混みも一段落していた。平日の昼間、しかも年度初め。これは勤め人ではない今の身分がありがたいと思える、数少ないシーンではないだろうか。
スタバ九段下店を出て武道館に続く坂道をゆっくりのぼると、僕たちの目に鮮やかな花筏が飛び込んできた。
「佐保さんはどうして、ソイチャイティーラテのホットを頼まなかったの」
素朴な疑問を僕が向けると、彼女は頬をぷくーっとさせた。
「頼みたかったです。とても。でも、叶わなかった……」
「どうして?」
「言えなかったからです」
「え?」
ホットのソイ・チャイ・ティー・ラテをトールサイズでお願いします。
「間違ったら恥ずかしいと思って。でも、のろのろ注文したら迷惑かなって不安で。でも、どうしても噛んでしまうのです。『ソイソイラテ』だとか『チャイソイティー』だとか。ああ……」
彼女は栗色のナチュラルボブをふわふわさせながら、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。僕はその姿を、純粋に、かわいいと思った。
「大丈夫だよ。ソイソイラテでもチャイソイティーでも、バリスタさんはきっとわかってくれる」
「そうでしょうか……」
「うん」
「そっか!」
目の前で嬉しそうに笑う彼女の名前は、佐保ひめ。でもこれは、現世にいるときに用いられるもので、時と場所次第で「ペルセフォネー」と呼ばれる。ペルセポネ、あるいはペルセフォネと呼ばれることもある。さらにプロセルピナとなったり、リーベラとかリビティーナなどとも呼ばれる、春の女神。それが僕の彼女だ。
「でもちょっと、面倒かもなぁ」
「春斗さんも、やっぱりそう思いますか? そうなんです! ソイでチャイでティーでラテで、しかもホットでトールなんて。わかりづらいですよね」
「あ、いや……。ああ、まあ、そうだね」
「ああよかった!」
彼女が桜色のパンプスで地面を踏めば、そこには小さな奇跡が萌える。桜に隠れてしまいがちだけれど、彼女が連れてくる春は色彩に満ちている。路傍のヒメキンセンカやオオイヌノフグリ、ツルニチニチソウたちは、モノクロに沈んだ街に春の到来を高らかに告げる。
「あれ、春斗さん。なんかおかしなことでもありましたか?」
「ん?」
「目元が、ゆるゆるですよ」
僕はわざとらしく咳払いしてから、彼女の微笑みに応えたくて、ポケットにつっこんでいた右手をそっと差し出した。
〈了〉