第七話 勘違い、してますよ

私たちのデートには協議というものがあまり存在しない。「なに食べる?」だとか「どこに行きたい?」だとか、そういう自然な文脈のカップルらしい会話は、皆無と言っていいだろう。
今日だってそうだ。中野に呼び出されたと思えば連れてこられた先が、死神がオーナーのカフェだという。
抗議しても、いいとは思う。けれども、私の抗議は彼にまっすぐ届かないことも、どこかでわかっているから、なんとも悔しい。
「ウナ・カメラ・リーベラ」は中野駅の南口から徒歩で10分弱の、大通りから一本奥まった隅にある。日によってオーナーが変わるというのは本当らしく、この日開かれているのは、彼曰くなんと「メイドカフェ」の一種だという。
私はさすがに入店をためらった。死神のメイドカフェ。趣向がマニアックすぎる。しかし彼は涼しい顔で、
「たぶん、気にいると思うけど」
などというのだ。きっとモノクロのふりふりを着た可愛らしい女の子たちが、
「モエモエビームであの世行き♡」
などとパフォーマンスするのだろう。私は自分の中の薄っぺらいメイドカフェに対する知識を総動員し、ぶんぶんと頭を横に振った。
「やっぱり、嫌だ」
すると彼は不思議そうな表情をわざとらしく浮かべた。
「なんで?」
「なんでって、君が他の女の子たちに囲まれてる図なんて、見たくない」
彼はクスクスと笑った。
「妬いてんの?」
「自惚れんなっ」
私は気恥ずかしさから、やや粗暴な言い方になってしまったことを瞬時に後悔した。彼の口角が、明らかに釣り上がったのである。彼はカフェの入口のドアに手をかけながら、
「なにか、勘違いしてない?」
と私を試すように言った。明らかな揺さぶりである。ここでブレては、彼の思う壺だ。私は気持ちを立て直すために、ハッキリと言い切った。
「なにも勘違いしてないし、盛大に勘違いしてるといえば、してる。概して恋愛がそうあるようにね」
それを聞いた彼は、興味深そうに目を細めた。
「恋愛は盛大な勘違い、か。面白いじゃない。じゃあ生命の起源はさしづめ、神の勘違い、かな」
「茶化さないでよ」
「僕はいつだって本気だよ」
「……」
私が言葉を迷っている間に、彼はドアを開けてしまった。

初・メイドカフェwith彼。なんだかなぁ!

「いらっしゃいませ」
しかし出迎えたのは、モエモエぶりぶりなガールではなく、物静かな初老のマスターだった。
「え、メイドさんは?」
私が思わず訊いても、彼は
「二名です」
とマスターに話しかけている。
店内は間接照明のみで薄暗く、設えられたテーブルにはレース編みのクロスがかけられており、BGMにはクラシック音楽が流れている、そんな空間だった。

私の中で「メイドカフェ」の概念が崩れ去ろうとしていたその時だ。
「悪くないでしょ、冥土カフェ」
「え?」
そういうこと、らしかった。メイドはメイドでも、冥土。そういうことか。

……どういう、ことだろう?

「ごめん、一ミリも意味わかんない」
「なに頼む?」
「えっ」
急に、デートみたいなこと言われても。
「冥土カフェって、どういうこと?」
「僕はアールグレイにしようかな。どうする?」
「質問に答えてよ」
「その義務はない」
ぴしゃりと彼は言った。そのあまりの明瞭さに、私は言葉を気持ちと一緒に引っ込めた。
「ねぇ、何にするの? 早く注文したいんだけど。喉、渇いちゃった」
「……」
「……」
私は店内を見渡した。年季の入った柱時計が秒ごとにカチコチ音を立てて、二人の沈黙を邪魔する。
秒針が6時から12時をさした頃になって、
「いちごミルクにする」
私はそう呟いて、彼を睨みつけてやった。
「私がなんでこれにしたかわかる?」
「飲みたかったからじゃないの」
彼は愚問とばかり即答する。だが、
「違う。理由を当ててみよ」
「その義務はない」
またかよ。
「義務はない義務はないって、ずいぶん都合のいい言葉だね」
「まぁね」
まぁね、じゃないよ。
私はひとまず、作戦を練るためにお手洗いへと逃げ込んだ。
落ち着いた内装のドアを開けると、壁には鏡がかけられていて、手を洗うためのスペースも設けられていた。
「ふー……」
改めて、今の自分の置かれている状況を確認したい。

・中野ブロードウェイの予想が外れる
・不恰好に初☆手繋ぎ
・冥土カフェに連れてこられる

若干、いやかなり不利なのではないだろうか。死にたがりの彼が案内する、冥土カフェ。まるで敵に塩を送ってしまった気分だ。

しかし、ここで簡単に負けを認めるわけにはいかない。こうやって認めるのは甚だ悔しいのだが、私は、一分一秒でも長く彼に生きていてほしいのだ。そう心の底から願っている。少しでも長く生きてほしい。そして、少しでも長く……一緒に、いたい。

生きることとは苦しむことと認識しているらしい彼のその、ひん曲がった世界を侵襲したい。偽善の塊になって、君の「死にたい願望」そのものをあの世送りにしてみたい。

……なんだ、私だって十二分に身勝手じゃないか。

私は自分の両ほほをパチンと叩いた。

今から君の認識を、ぎったんぎったんにするから。覚悟しな。

そう心の中で呟いて、私はお手洗いのドアを開けると、席で頬杖をついている彼に向かって破顔一笑した。

第八話 いちごミルク