第十一六話 天体観測

頭上に広がるのは、満天の星々。それらが降り注がんばかりに煌めいている。

「わぁ……」

先に声を出したのは佳恵だった。裕司は、半ば呆然と空を見上げている。

思い出す、ペルセウス座流星群をみんなで観た、あの夜。

楽しかった、なんて言葉じゃくくれない。とても甘酸っぱい、そして痛切な思い出。あの子は、まるで、流星そのもののように燃えて、光って、散った。彼の心に、深い痕跡を残して。

裕司の両目に、星々の光が映り込む。

どこまでも美しく、怖ろしい。

青春の面影を浮かび上がらせては、容赦なく消えていく星、廻る季節、過ぎてゆく時間。

それらがないまぜになったものたちが、彼の全身を駆け巡る。

きらきらと、あまりに輝きを放っていた日々――――君がいた日々。

裕司は夜空に向かって両手を伸ばした。ひんやりとした空気が、彼の鼻腔を刺激する。目の前に広がる光景が、彼を現実へ連れてゆく。「彼女がこの世界のどこにもいない」という現実に。

まるで彼女の祈りが舞い降りたように、裕司の全身を貫くのは、思い出という名の過ぎた光。

そうだ、今届いている光は、もう既に滅んでいる星のものかもしれないんだよ。そう教えたら、君は言ったね。

「なんだか、悲しいです」

そうだ。天体観測というのは、もしかしたら過去からのメッセージを受け取る行為なのかもしれない。

私はここにいたと。ここで輝いていたと。そのことを光にのせて伝え、今を生きる人がそれを受け止めて、今この瞬間から先へと繋いでいく、きっと、そんな意味を持つのかもしれない。

佳恵は横目で裕司を見た。彼は静かに呼吸しながら、両手を伸ばし、夜空を凝視している。

その姿に、佳恵は息を飲んだ。かつて、密かに憧れていた人と、二人で満点の星空を眺めている。不思議なことに、安らかな気持ちと、張り詰めた空気が同居していた。

あの頃、悩みといったら恋のこと、そんなことばかりだった。自分たちが輝いていたことを、全然知らずに輝いていた。生きていた、ただがむしゃらに。不器用に傷つきながら、泣き笑いながら。

あぁ、僕は……忘れものを、取りにきたんだ。

あの日、失くした大切なものを取り戻しに、僕は。

随分と時間がかかってしまったけど、そして君は約束してももう来ないけど、何よりも時間は決して巻き戻らないけど、それでも――

「あぁ……っ」

裕司の喉の奥から、声が漏れる。一度封印が破れてしまえば、ひたすらに溢れるもののように、とめどなくこみ上げる、過日の宝物。

悲しかったのです。

僕は、君を失って、とても、悲しかったのです。

「うぁ……」

低い声が吐き出される。それとともに、裕司の両目から流れた一筋の涙が頬を伝う。

「あ、あ、あ、」

あとからあとから、溢れ出す涙。

「うわぁ、あっ、ああああ」

もう、何も彼が泣くのを妨げるものはなかった。星々は、今も昔も、彼を見守り続けてきた。そしてそれはこれからも変わることはない。

「ああっ、うわぁーっ!」

その場にひざまずくように倒れる裕司。佳恵はそんな彼の体を支えるようにしてしゃがみこみ、一緒に泣いた。その佳恵の腕を強く握り返す裕司。

「沙織……っ!」

――いつか、僕が星になる日がきたら、君は、迎えにきてくれるかい?

その問いに、星々は優しく照り返す。

その日は、あまりにも美しい星空の広がる日だった。その煌めきに打たれて、彼は積年の想いを、ようやく解放することができたのだ。

涙は滝のように流れ、彼女に対する後悔を、自分に対する無力感を、恨みの念を、幻に身を任せた時間をも洗い流していく。星々の輝きは、裕司という一人の人間を彼の傷ごと包み込んでいるのだ。

伝えられなかった想い。それをのせるための言の葉。

裕司は顔面中をぐしゃぐしゃにしながら、跳ね上がる鼓動を感じながら、星空に向かって、

「……愛して、いたよ……」

そう言って、心ゆくまで佳恵の腕の中で泣き続けた。

最終話 添え星