俊一は、ぽつりと呟いた。
「………征二のことか?」
「優しい人だった。誰にも理解されなかっただけ。今ならわかる」
優しい人だった。
俊一は、その言葉に、一縷の慰めを得た気がした。最期の最期に、弟の優しさが誰かに伝わった。
あいつの人生には、ちゃんと意味があったんだ、と。
「俺は――」
浩之が口を開く。
「それでも、ここに、居たい」
麻衣子は深呼吸の様な仕草をして、ふわっと舞った。
「この季節は、もうすぐ逝くよ。春が来る。春になる。彼が否定した運命論は、あなたの眠りでその過ちを証明されるの」
俊一は心からいたたまれない気持ちになった。浩之が欲しいのは、居場所。魂の還る場所。
『組織』によって歪められ、地球に還れなくなった魂の安息を求め、奪うことでしか表現できない。
「大丈夫か
麻衣子はふわりと微笑む。
「あなたの居場所は、此処だから」
「え―――」
「おいで」
子どもを手招くように、散々拒絶してきた浩之を、受け入れようとする麻衣子。浩之は怖気付いてしまう。
「でも……」
「怖くないよ。痛くないよ。大丈夫だよ」
一種の共鳴現象とでもいうべきなのだろうか。
浩之の指先がいよいよ麻衣子に触れたその時、またたく間に、浩之の肉体の『止められていた時間』が動き出し、一気に朽ち果てた。
「あっ」
浩之はそう漏らすのが精一杯で、恐怖も、痛みも、幸福すら感じずに、麻衣子に―――正確には黒蝶の群れに―――吸い込まれるようにして消えていった。
「ヒロ!」
思わず叫んだのは、俊一だ。
「すまない………!」
しかし、その声は浩之には二度と聞こえない。だが、
「大丈夫だってば」
麻衣子は凜として告げる。
「ちゃんと、還れるから。居場所、あるから。彼にも、ちゃんと、届いているから」
「ヒロ…………」
俊一は、その場にうずくまってしまう。
「ごめんな。ごめん。本当に……ごめん」
「違うなぁ」
浩之を吸い込んだ麻衣子は、俊一に向かってピースサインを作った。
「こういうときはさ、『ありがとう』じゃない?」
堪らなくなって、羊子は麻衣子に走り寄った。
「麻衣子ちゃん……!」
抱きしめたくても、すでに麻衣子は 『上手に存在していない』。羊子の両腕は、空を切るばかりだ。
「ありがとう、ヨーコさん。大好きだよ」
「ダメよ、そんな簡単に、あなたは逝ってはダメ」
「死なないよ、私。消えるだけ。ちゃんと『居る』からね」
羊子は己の無力さを呪った。
時が来た。季節が巡った。―――それだけ。