「眠れない」
彼のその一言で、深夜のサイゼへ繰り出すことになった。玄関を出てすぐ、師走の冷えきった空気が頬を鋭く刺したから、ああ、ちゃんと冬なんだな。なんて当たり前のことを、しみじみ思ったりした。
サイゼが24時間営業を廃止するらしい。これは行きつけの店舗に限ったことではなく、本社の方針だそうだ。確かに、深夜にイタリアンをがっつり食べる人なんてあまりいないだろうから、採算が取れないんじゃないかとは思っていた。
私たちもまた、こんな時間にミラノ風ドリアと小エビのカクテルサラダを求めるという点に象徴されるように、採算で表すなら大赤字の人生を送っている。
金もない、学もない、これといった才能もない。かといって眠れないからという理由で深夜にサイゼに行く程度には清貧でもない。ないないづくしの生活だけれど、それに不満さえない。あるとしたら、世界から置いてけぼりを食らい続けているような、ぽかんとした空洞、だろうか。
学生と思しき茶髪の男性が、やや疲れた表情で私たちのオーダーした料理を運んでくる。その店員だけではない。深夜のサイゼに居る人たちは、みんな疲れている。もちろん、私たちだって例外ではない。
サラダを取り分けるためのフォークで小エビをつっついていた私に、彼はようやく口を開いた。
「その絵、知ってる?」
私の背後の壁には、豊満な体つきの女性が大きなホタテ貝の上にいる絵画が飾られていた。美術やら歴史やらに疎い私だけれど、これはさすがに知っている。高校の教科書に載っていたから。
「『ヴィーナスの誕生』だよね」
「そう。サンドロ・ボッティチェッリの作だよ」
彼はミラノ風ドリアのど真ん中に、スプーンをすとんと挿し入れた。
「実はその絵には、改ざんされた部分がある」
「えっ?」
彼はスプーンで焦げ目のついたミートソースを剥ぎ取り、その部分だけを器用に集めて、ぺろりと平らげてしまった。その部分にホワイトソースとライスとを絡めてこそのミラノ風ドリアなのに、なんてことをするんだ。
私の抗議を全く相手にせず、しかも目を合わせることすらなく、彼はしばらく口をもぐもぐと動かしていた。私は悔しさのあまり、サラダの小エビを全て自分の皿に載せかえた。
ようやくミートソースの塊を飲み込んだ彼は、グラスの水を一気に飲み干した。
「サンドロ・ボッティチェッリが描いたヴィーナスは、滂沱の涙を流していた」
私はぎょっとして、背後の「ヴィーナスの誕生」(のレプリカ)を改めてじっと見た。ヴィーナスの右隣に、彼女へ薔薇のマントを差し出している女性が描かれている。彼曰く、彼女は「ヴィーナスの従者である春の女神」なのだそうだ。
「春の女神は、ヴィーナスの裸体を隠すために待ち構えているんじゃない。大量の涙を拭うために、あんなに大きな布を携えている」
「どうして、ヴィーナスは泣いていたの?」
「あらゆる苦痛を引き受けていたから。ヴィーナスの涙は、真珠と同じ意味を持ってこの世界に現れたんだ」
そうして彼の口から滔々と語られたのは、「人工的にあこや貝に真珠を生み出させる方法」だった。
あこや貝は、閉ざした口を無理やりこじ開けられ、核石と呼ばれる小石の欠片を外套膜という部分まで挿しこまれる。このときに大変な苦痛を味わうという。人間で喩えるなら、麻酔なしで腹部を切り裂かれ、その中にごつごつとした石を押し込まれるようなもの。
異物を埋め込まれたあこや貝は、海中深くへ沈められ、その半数は生存すら叶わない。
核石という異物を自力で吐き出すことができないあこや貝は、分泌液を出し続ける。これが、あこや貝にとっての「涙」だ。外套膜の外側上皮細胞が軟体組織内に入り込むことで真珠袋が形成され、「涙」が結晶して層状に成長していく。やがて、異物というあこや貝にとっての「苦痛」が丸みを帯びていく。
つまり、涙で包み込むことで、あこや貝は苦痛を己の一部にするのだそうだ。
「ああ、なるほど。『痛みを輝きに変える尊さ』的な?」
私のその見解は、しかし彼の眉間に深い皺を刻ませた。
「本来、あこや貝が自然に真珠を生むのは奇跡の領域だった。奇跡を人為的に起こすことで、何が犠牲になってる? あこや貝の味わった苦痛と、それに耐えて流した涙の意味なんて知りもせずに、ただ真珠の美しさに手を伸ばす人間たちは、当然ながら罰を受けることになった」
「罰って?」
「ヴィーナスから涙を奪ったから、愛には必ず苦痛が伴うようになってしまった」
私はハッとして、サイゼの店内を見渡した。
くたびれたスーツ姿で船を漕ぐサラリーマン、安価なワインで酔っ払って互いをべたべた触り合うカップル、テーブルに積んだ書籍に目もくれず激しく貧乏ゆすりをしながらスマートフォンを凝視する学生、真冬なのに露出度の高い服装をして緊張した面持ちで背筋を伸ばしている若い女性と、その対面でその女性を舐めるように見ている黒いスーツに金色のネックレスを着けた男性。それから——あらゆる居場所から排斥された彼と、そんな彼と共にいることを選択した私。
ここには、疲れ果てた者しか存在しない。愛が包含する苦痛を感受してしまう存在にとって、深夜のサイゼとは一種のシェルターなのかもしれない。
「見たいものだけを見て、都合の悪い本質から目を逸らし続けていたほうが、生きやすいんだろうね。あくまで一意見だけど」
ミートソースを剥がされたドリアはすっかり冷めていたようで、彼はスプーンで残っていたライスをかき集めると、あっという間に平らげてしまった。私ももちろん、小エビを一匹たりとも彼にあげなかった。
サイゼを出てからしばらく、底冷えする深夜の街をふたりで深海魚のように彷徨った。行く先がわからない、特に決めていない、その不確かさが心地よかった。
彼がするりと手を繋いでくる。だから私もするりとその手を握り返す。寒いのなんてわかってるから、息まで白くなることなくない? ほんとだね。そういえばさ、なんか「生きづらさ」って言葉、すっかり市民権を得たじゃん。あー、大切な言葉ほどすぐに手垢にまみれちゃうね。自分が天使だって気づかないままの人が増えた可能性は? 否定はできない。ないとはいえない。なくはなくはない。ふーん、そっか。なんだか偉い人の言い逃れみたいで、みっともないなあ。まあ、天使にはちょっとしんどい世界だからね。うん。人間は、これから加速度を上げて、たくさんのものを失っていくよ。知性なんて、じきになんの価値もなくなるし。うわ、まじか。人間は思考を放棄して、快楽のみを求める葦になる。え、それ葦に失礼じゃない? そうかも。ねえ、空気が冷たいほうが夜空の星ってきれいにみえるじゃん。でも、こんなに寒いのに、流星群を見るためにわざわざベランダに出るとか、どうかしてるよね。真夜中にサイゼでドリアのミートソースだけこそげ取るのと同じくらい。同意。あそこにいる人たちは、みんな天使だって気づいてた? うん。そっか。それより、今月の家賃って引き落しできたのかな? わかんない。でも、たぶん、大丈夫。たぶん、か。うん、たぶん。そうだね、それがちょうどいいね。うん。ちょうどいい。
サンドロ・ボッティチェッリもまた、天使だった。他ならぬ彼がそう言うのだから、間違いない。
歩き疲れた頃、大通りから一本奥まった道沿いに児童遊園を見つけた。木製のベンチめがけて小走りして、せーので座った。想像以上にお尻がヒヤッとしたものだから、私たちは笑いあった。笑い声がやんで、ふと私たちは見つめあった。
——どんなに拒絶しても、愛という名の苦痛からは決して逃れられない。
彼が私の頬に触れる。その指先が探り当てたのは、いつか吉祥寺の雑貨屋で買った、フェイクパールのピアス。気まぐれな小夜風に、私の鼓動と揺れている。
fin.