第十七話 メモ帳

あれから、彼は無難な言葉ばかり並べ立てて、私に努めて優しく接した。わさびとソースで汚れたレンジの掃除までしてくれた。

私といえば、思い出したように熱が上がってきて、ベッドに突っ伏してしまったのだが、そんな私を彼は介抱してくれた。アイスノンがなかったので保冷剤をタオルにくるんでその代わりにし、水分補給のためにスポーツドリンクを用意してくれた。

嬉しかった。なんというか、こういうフツーな感じが、とても嬉しかった。夢じゃないかとも一瞬思ったが、この体のだるさは夢の世界まで持っていけまい。

彼が、今日泊まっていってもいいかときいてきた。予備の寝具は寝袋しかないと答えたが、それでもいいとのことだった。

彼がネクタイを外す仕草に、どきりとした。彼の動作に対してこんな気持ちになるのは、初めてかもしれない。

(そうなのか? これは、そういう展開、なのか? いや待て、こっちは熱発している身だし……)

彼がシャワーを浴びている間、悶々とした。熱がさらに上がってしまいそうだった。何度も寝返りをうって、足をジタバタさせた。

カランの閉まる音がして、彼がシャワーから上がってきたらしかった。手早くバスタオルで水滴を拭いて、(勝手に)私の部屋着に着替え、先程座った位置にあぐらをかいた。

私はその様子すべてを薄目を開けて見ていたのである。彼の座っている位置は、ベッドの真横だ。単身向けアパートの狭さに、この時ばかりは感謝しかなかった。

彼はその大きな手を私のひたいにあててきた。その次に、私の指に触れてきた。私の心臓がこれでもかというくらい、力強く打たれる。あまりの緊張に、私は堪えきれなくなって、

「ひ……」

と実に間の抜けた声を出してしまった。

「なんだ、起きてたの」
「うん……」

彼は私の枕元にスポーツドリンクのペットボトルを置くと、

「ちゃんと寝なきゃだめだよ」

そう言って、おやすみ、と寝袋の中にもぐりこんでしまった。

(あ、あれ?)

そういう展開、じゃないのか? いや、期待はしてなくもないことないけど!

程なくして、彼の寝息が聞こえてきた。私はまたもどきりとさせられた。まるで少年のようなあどけない寝顔、なのだ。

……なんだ、そういう顔も、あるんだね。

私は自分の浅はかさに身がよじれる思いだった。しばらく恥ずかしさから足をまたもジタバタさせていたのだが、いつのまにか眠りに落ちていた。

朝陽が部屋に忍び込んだきて、私は目を覚ました。部屋に彼の姿はなかった。見回すと、テーブルの上に紙が一枚置かれていた。友達がいつかの誕生日にくれたマイメロディのメモ帳だ。

そこには、こう記してあった。

「おはよう。次は、新宿で逢おう」

それが、彼からのデートの誘いという名の最終決戦の宣戦布告だとは、この時の私に気づくよしはなかったのだった。

第十八話 ワンピース