第十八話 smile

晴れて(?)bookmarkerのメンバーとなった真弓は、そのことを早速香織に報告した。

「すごいじゃん。学生サークルじゃなくて、いきなりセミプロとか」
「まぁね。なりゆき、っていうか」
「どんな?」
「えっと……」

まさか『幽霊のかつての恋人に自分が似ていて、その幽霊の悪霊化を自分の歌声で防いだ』とは言えないので、

「まぁ、バイト先のマスターがベーシストでさ」
「うんうん」
「暁町の美容室『リリック』ってあるんだけど、そこの美容師の女性がギターで」
「なるほど」
「旭町の自転車屋さんが、パーカッションなの」

香織はうんうん、と頷いた。

「で、真弓がボーカルなのね」
「うん。これからボイトレしてくれるって」
「すごいじゃんね。WWMのコピーだけじゃなくて、オリジナルもあるんでしょう」
「あるよ。『アリスの栞』っていうの。歌詞がすごくいいんだよ」
「え?」

とたんに、香織は不可解な表情になった。

「幸宏から聞いたことがあるけど、それはWWMの名曲のタイトルだよ?」

幸宏とは、『市川先輩』のことである。

「あれ? そうだっけ」
「しかも、確かインストの曲だったはず」
「え?」

真弓は首をひねった。おかしい。あの時、彰の悪霊化を止めた楽曲は、ハルコが教えてくれたもののはずで、それは秋子さんの遺した詩に曲をのせたものではなかったか。

「真弓、『WWMフリークス』に出るのにWWMのこと、あまり知らないんでしょう」

ギクッとする真弓。香織は「やっぱりね」とため息をついた。

「ウィキペディアの方が詳しいかもしれないけど、いい加減な情報も多いからね。『WWM』は、よく海外のバンドだと思われているけど、実は日本のグループなんだよ。構成はボーカル、ギター、ベース、パーカッション。フォークソング全盛期に、一部のコアなファンの人気を集めていたの。中でもウッドベースはカリスマだったらしい」
「へぇー」
「へぇー、じゃないよ。勉強不足!」
「ごめんなさいー」

真弓の頭を「?」が支配する。自分だってメンバーなんだから、ちゃんと知る権利があるはずだ。真弓は授業もそこそこに、『アリスの栞』へと自転車を走らせた。


真弓の率直な質問に、中野は朗らかな雰囲気で、

「話してなくてごめん。いっぺんに色々詰め込むと、混乱するかなって思って」

そう答えて笑った。真弓はふむふむと頷く。

「じゃあ、『アリスの栞』はbookmarkerのオリジナルではないんですね」
「そう。歌詞をよく見てごらん」
「へ?」

中野は歌詞の、「If I exhale from the thin lungs, you will smile.」という部分を指差した。

「真弓ちゃんは、彰の笑顔を見たことがあるかい」

急にそう問われて、真弓は戸惑った。

「そういえば……ない、かもしれないです」
「僕もないんだ。あいつは、笑ったことがないんじゃないかってくらい、無愛想だし不機嫌だしマイペースだし。まぁ、秋子さんのことがあるから、無理もないけど」
「………」

真弓は少し思案してから、

「笑っちゃいけない、と思っているのかもしれないですね、彰さん」
「え?」
「秋子さんを一人にしてしまった。その後も半世紀以上見守ることしかできなかった。そんな自分が『心から笑う資格はない』って思っているのかも」

中野は少し驚いた様子をみせた。

「真弓ちゃん」
「はい」
「とても、彰のことを考えてくれているんだね」

そう言われて、耳まで真っ赤になる真弓。

「だ、だって、その……」
「みなまで言わなくてもいいよ。僕は、見守るだけだから」
「………」

そんなことを言われたら、ますます真弓のユデダコ加減はヒートアップしてしまう。中野は、アパートで一人暮らしの真弓の父親のような心持ちだったのだろうか、ホットミルクを差し出した。

「少し、休んでおいで」
「え、でも本屋スペースの棚卸しがまだ……」
「大丈夫。気にしなくていいから」
「ハイ」

彰はよく二階のカフェスペースの隅に現れる。なので、真弓は一階の奥で休むことにした。そこはちょうど洋書のコーナーで、秋子の好んだボードレールなどが置かれている。その中の一冊に手を伸ばしたが、あと数センチが届かない。

「んーっ」

横着して、座ったまま手を伸ばしたものだから、バランスを崩してしまった。

「わっ!」

すってんころりん、虚しく転がる真弓。

「やっぱり雑な性格だね」

突然降ってきた声に、真弓は驚いて顔を上げた。

「あ、彰さんっ、なんで一階に来るんですか!?」

恥ずかしさも相まって、口調が強くなる真弓に対し、しかし彰は冷静だ。

「この家のどこを歩こうが俺の自由でしょ。それよりも」

彰は、ボードレールを一冊、取り出して、

「『悪の華』、読んでみたら?」

そんなことを言う。真弓にはそれが、まるで自分への告白のように聞こえてしまう。

恋というのは人を強くするが、同時に、少しおバカさんにもしてしまうようだった。

第十九話 自爆 に続く