第七話 ディアー

私たちはほぼ無言でマックの片隅に座っていた。アイスコーヒーを飲み終えた桐崎くんはぽつりと、

「噂なんて気にしないよ」

と言った。表情からは相変わらず、彼の心の中を察することはできない。

「人の噂も七十五日って言うでしょ。考えてもみなよ。誰が、今、大橋夏菜子のことを話題にしてる?」

私はドキリとした。彼の言う通りなのだ。「駆け落ちした」夏菜子のことを噂する者は、もうあのキャンパスにはいない。……あっけない。あまりにも、あっけない。

桐崎くんは私の顔を覗き込むようにして、こんなことを言いだした。

「智恵美、今度久々に、地質の研究をしようか」
「え……?」


合宿には美恵の司令通り、桐崎くんと参加することになった。夏休みに入ってすぐ、前期試験の追試も終わって(私は統計学で赤点評価を食らった)、多くの大学生がバイトにサークルに恋に羽を伸ばす眩しい季節。

私もまた、そんな大学生の一人、だったと思う。なぜ過去形なのかは甚だ愚問だ。

「これで行くの? すごいじゃん」

キャンパスの前に立派なバスが停まっている。これを幹事の藤城先輩と美恵は貸し切ったという。熱意のかけ方が半端ではない。

「当たり前でしょ。河口湖まで一直線だよ。ですよね、先輩」

美恵は藤城先輩に声をかける。彼女は先輩に好意を寄せていることを憚らず周囲に話しているし、先輩自身もそれは知っているようだった。

「ああ。湖のほとりの雰囲気バツグンなペンションだよ。みんな、期待していいからね」

歓声が上がる。

「それと、今回はゲストが来てる」

藤城先輩は、突然桐崎くんを指差した。皆が注目する。

「小林さんのディアー、理系男子の桐崎くんだ」

参加者は冷やかしの視線を私達に向けた。

私は藤城先輩に抗議しようとしたが、意外にも当の桐崎くんが笑顔で、

「よろしくお願いします」

などと言うものだから、私も怒りを抑えることにした。

――嘘だ。そんな笑顔、私には絶対に見せないくせに。

藤城先輩も微笑み返す。妙な雰囲気だ。

美恵は少しだけ苛ついた声色で、

「お二人さんには、ディナーの準備を担当してもらうからね」
「えっ、私、聞いてない」
「そうでしょうね。あの日ミーティングをサボったのはどこの誰よ」
「あ、それはその、えっと……」

私が言葉に詰まっていると、バスのクラクションが軽く鳴らされた。

「ほらほら、出発だよ。みんな準備はいいかぁ?」

藤城先輩が高らかにそう言って、二泊三日の合宿が始まりを告げた。

桐崎くんとの、初めてのちょっとした旅行だ。そうだ、せっかくなら思い切り楽しみたい。

……そんな、浅はかな私の願いは、音を立てて崩れていくこととなる。

第八話 塊肉