私たちはほぼ無言でマックの片隅に座っていた。アイスコーヒーを飲み終えた桐崎くんはぽつりと、
「噂なんて気にしないよ」
と言った。表情からは相変わらず、彼の心の中を察することはできない。
「人の噂も七十五日って言うでしょ。考えてもみなよ。誰が、今、大橋夏菜子のことを話題にしてる?」
私はドキリとした。彼の言う通りなのだ。「駆け落ちした」夏菜子のことを噂する者は、もうあのキャンパスにはいない。……あっけない。あまりにも、あっけない。
桐崎くんは私の顔を覗き込むようにして、こんなことを言いだした。
「智恵美、今度久々に、地質の研究をしようか」
「え……?」
合宿には美恵の司令通り、桐崎くんと参加することになった。夏休みに入ってすぐ、前期試験の追試も終わって(私は統計学で赤点評価を食らった)、多くの大学生がバイトにサークルに恋に羽を伸ばす眩しい季節。
私もまた、そんな大学生の一人、だったと思う。なぜ過去形なのかは甚だ愚問だ。
「これで行くの? すごいじゃん」
キャンパスの前に立派なバスが停まっている。これを幹事の藤城先輩と美恵は貸し切ったという。熱意のかけ方が半端ではない。
「当たり前でしょ。河口湖まで一直線だよ。ですよね、先輩」
美恵は藤城先輩に声をかける。彼女は先輩に好意を寄せていることを憚らず周囲に話しているし、先輩自身もそれは知っているようだった。
「ああ。湖のほとりの雰囲気バツグンなペンションだよ。みんな、期待していいからね」
歓声が上がる。
「それと、今回はゲストが来てる」
藤城先輩は、突然桐崎くんを指差した。皆が注目する。
「小林さんのディアー、理系男子の桐崎くんだ」
参加者は冷やかしの視線を私達に向けた。
私は藤城先輩に抗議しようとしたが、意外にも当の桐崎くんが笑顔で、
「よろしくお願いします」
などと言うものだから、私も怒りを抑えることにした。
――嘘だ。そんな笑顔、私には絶対に見せないくせに。
藤城先輩も微笑み返す。妙な雰囲気だ。
美恵は少しだけ苛ついた声色で、
「お二人さんには、ディナーの準備を担当してもらうからね」
「えっ、私、聞いてない」
「そうでしょうね。あの日ミーティングをサボったのはどこの誰よ」
「あ、それはその、えっと……」
私が言葉に詰まっていると、バスのクラクションが軽く鳴らされた。
「ほらほら、出発だよ。みんな準備はいいかぁ?」
藤城先輩が高らかにそう言って、二泊三日の合宿が始まりを告げた。
桐崎くんとの、初めてのちょっとした旅行だ。そうだ、せっかくなら思い切り楽しみたい。
……そんな、浅はかな私の願いは、音を立てて崩れていくこととなる。