第十二話 過日の嘘(五)カード

美奈子がいなくなったことに混乱した裕明が「白い部屋」を飛び出し、そのまま院内のあちこちを彷徨っていたのと時を同じくして、入院棟の夜勤を担当していた看護師たちがある異変に気づいていた。夕飯を配膳しようとしたところ、件の男性...

第十一話 過日の嘘(四)定規

岸本の気持ちを落ち着かせようと、木内は「深呼吸を」と彼女に促した。 「裕明に特段、おかしな様子はなかった?」 「野暮なこと言うのね」 「え?」 「『おかしい』って、まるでどこかに『おかしくない』って定規があるような言い方...

第十話 過日の嘘(三)怖い

「知らない場所って?」 知らない。知らないから、知らない。 「何が見えたの?」 海。それがひたすら目の前に広がっているんだ。僕はあの子の手をとって、その子も僕の手を握り返して、でも見つめあうわけじゃなくて、同じ夕陽をずっ...

第九話 過日の嘘(二)りんどう

何をもって何を「不幸」だとか「悲劇」などと「誰が」決めるのだろう。ある「ものさし」で測ろうとすれば、今、美奈子の目の前に広がっている光景は「異様」とされるのかもしれない。だが、木内にシャンプーを施されているその青年は目を...

第八話 過日の嘘(一)夕立

先ほどまでの眼光はどこへやら、青年はあどけない表情で自身の両腕を無邪気に美奈子に絡ませてくる。 「ねぇ、おねえちゃんは、ぼくのおともだち?」 「え……」 「あっ!」 青年は目を輝かせて、湿り気のある風の入ってきた中庭の方...

第七話 心臓の形(七)斜陽

青年は強引に美奈子の腕を引っ張り、獣のように鋭い眼光を彼女に突きつけた。美奈子の額の汗と血の気とが、一斉に引いていく。 「こんなところに、何をしにきた……」 先ほどまでの透明感のある声とは打って変わって、低いうめき声で青...

第六話 心臓の形(六)可哀想

青年は美奈子のほうを一切見ることなく、ひたすら鏡の破片を集め続けている。その姿は月夜の浜辺で貝殻を集める寡黙な詩人のようだ。 美奈子が扉のそばで立ちつくしていると、青年は相変わらずうつむきがちに、こちらに話しかけてきた。...

第五話 心臓の形(五)絵画

奥多摩よつばクリニックには、消毒液と汗の混ざったような病院独特臭いはまったくしない。それどころか、木造ならではの心地よさをそよ風が助けて、気持ちが安らぐような心地すらする。 美奈子はしばらくの間、入院病棟へと続く廊下の壁...

第四話 心臓の形(四)幻影

「いやー、最後の一球は本当に惜しかった。絶対あれストライクゾーンだったでしょ。あの程度の当たりだったら、僕があと十歳若かったら余裕でキャッチできてた」 「ソフトボールがタイブレーカーじゃなかったら、絶対に逆転してたよね」...

第三話 心臓の形(三)扉

高畑美奈子は「その日」も、自宅最寄りの中野駅からいつもと同じダイヤの多摩方面の中央線に乗り、乗り換えの立川駅のエキナカにあるベーカリー「キィニョン」でお気に入りの焼きカレーパンをゲットし、足早に青梅線を目指していた。青梅...