昶斗の自覚は、夏真っ盛りのとある夜だ。僕、伊知が一人暮らししているアパートで、男子二人であほらしい動画を観ながら酒盛りをしていたときのこと。急に黙り込んだ昶斗は、一筋の汗をあごから垂らしながら真顔で、こう僕に告げた。
「自分でも、どうすればいいかわからないんだけど」
「え、どうしたの?」
「伊知、実はな……。俺って、神なんだ」
僕と昶斗は幼馴染で、高校まで同じ学校へ通っていた。昶斗が理系、僕は文系だったので大学は別々の進学先となったが、いまだにこうして過ごす仲だ。だから僕は知っている。昶斗がいかに冴えない青春を送ってきたかを。
浮いた噂一つもないどころか、女子と会話をしたのは高校三年間で片手に余る程度。帰宅部部長と揶揄され、陰キャの極みのような昶斗のことを、僕はずっと心配してきた。
だから昶斗の口から「自覚」が語られたとき、僕はついにその時が来たと確信した。その言葉を聞いた僕は、ためらうことなく昶斗と、とある学園の編入試験を受けることを決意した。
その学園の名は、「ストーリア学園」。世界中の疲れた神々が永遠の青春を謳歌して心身を癒すという、これ以上なくアカデミックな場所だ。扉はいつでも開かれている。受験の条件はただ一つ、「自分が神である」という、どうにも己では処しきれない衝動と自覚があること。
「伊知、お前って昔から変わってるよな。普通ドン引くだろ」
「『普通』なんて知らない」
僕たちが観ていたタブレット端末の画面が、突然まばゆく輝きだしたので、僕たちは手を握り合って、目をぎゅっと閉じた。
「行こう、昶斗」
目覚めるとそこは、校舎の中だった。といっても四角い教室に無機質に机と椅子が並べられているわけではなく、中庭には清涼にしぶきをあげる噴水、窓という窓には精緻な彫刻が施され、床は目に優しい木目調の空間で、ロッキングチェアが自由に置かれていた。
僕たちがきょろきょろしていると、背後から走ってくる女の子の声がした。
「いっけなぁ~い、遅刻遅刻ぅ」
見れば、その女の子は食パンをくわえている。僕たちの前を猛ダッシュで過ぎたかと思えば、急にこちらへ寄ってきて彼女は言った。
「あれ、見ない顔ね。もしかして編入生?」
「あ、これから受験するところです」
僕がそう答えると、その女の子は「へー」と言って、食べかけの食パンをその場でもぐもぐ食べ始めた。
「あの、遅刻するのでは……?」
「あー、もう遅刻確定だから、いーのいーの。あ、私は未炁。よろしくねー」
未炁は、僕と昶斗に半ばむりやり握手してきた。僕の手を握った彼女は、「あー、なるほどね」と言ってニコリとした。
「せっかくだから案内してあげる、受験会場まで」
ノリノリの未炁と対照的に、硬い表情を崩さない昶斗だったので、僕は少しでもリラックスさせようと彼の肩を軽く叩いた。
「昶斗と僕なら大丈夫。きっと合格するさ」
「いや……何が起きてるんだ?」
「今さら何を言ってるんだよ。昶斗は神なんだろ? それを証明すればいいだけのことだよ」
「……そっか」
未炁に連れられてやってきたのは、ストーリア学園のとある一角。入口の看板にはわかりやすく「編入試験会場」と太い筆文字で書かれている。
「じゃ、がんばってね!」
未炁はスキップしながら去っていった。あまりのテンションの軽さに僕たちは動揺したが、ストーリア学園の生徒になれるかなれないかの重要な分かれ道だ。余計な心労は、跳ねのけなければならない。
昶斗が緊張からか、僕の手をきゅっと握ってきた。
「証明、すればいいんだな? 俺が神だということを」
「そう。ありのままの昶斗を発揮すればいいんだよ」
「よし」
試験会場に入ると、先ほどまでの光景とまるで異なり、そこは長机とパイプ椅子が二脚、そっけなく置かれている無機質な空間だった。その奥には教壇があり、そこに一名、気だるげに座っている女神の姿があった。
「いらっしゃい。さっそくだけれど一次試験。よろしくて?」
長い黒髪を指先で弄びながら、その女神は告げた。
「まずは、筆記試験よ。制限時間は無し。ただし、一問でも間違えたら不合格」
「ええっ!」
席に座った僕たちに、この女神はとんでもないことを言う。
「さっさとなさい」
「全問正解なんて、そんなこと――」
僕が戸惑いと抗議の声をあげようとすると、昶斗がそれを制した。
「え、昶斗?」
「……任せろ。これはマークシートだ。危うく『制限時間は無し』という言葉に引っかかるところだった。つまり、そもそも『時間がない』という意味だ」
「どういう意味?」
「つまり、さっさと答えないと……試験に落ちる」
昶斗が「落ちる」と言ったのと時を同じくして、教室中に雷が落ちた。どうやらこの女神が落としたものらしい。
「こんなのに撃たれたら、ひとたまりもないよ!」
僕は驚いて目を強くつぶった。その間にも、激しい音を立てて雷は教室中を駆け巡っている。どうにか目を開いた次の瞬間、僕は瞠目した。
なんと、昶斗がマークシート全50問を塗り終えていたのだ。しかも、全て解答は「1」。
「昶斗、何やってるんだよ! 大事な試験なのに――」
「くっ、全問正解よ」
雷神が意外な言葉を口にしたので、僕は「ふぇっ?」と思わず間抜けな声を出してしまった。
「一次試験通過。二次試験に進んでもらうわ」
ひときわ鋭い閃光が放たれたかと思いきや、雷神の姿は瞬時に消え、代わりに筋骨隆々な男性の試験官が姿を現した。
「我は風神。二次試験は実技だ。文字通り、命がけで行ってもらう。お互いをどれだけ信頼しているかを試すぞ。このリンゴを頭の上にのせ、もう一人がこの弓矢で射る。リンゴに命中するまで行ってもらう。たとえ他の部分に矢が当たってもだ」
それを聞いた昶斗は一気に自信を無くした様子で、急におどおどし始めた。だが、ここは却って水を得た魚の僕である。
「今度は僕に任せて。これでも一応、高校時代は弓道部でインターハイ出場経験があるから」
「伊知、そうはいっても、万が一外したら……」
「昶斗、僕を信じてくれないの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
昶斗が壁際に立って、試験官がリンゴをのせる。昶斗は深呼吸して、懸命に恐怖と闘っているようだった。
僕はしっかりとリンゴに狙いを定め、軌道を探った。しかし、矢の切っ先を向けられて、昶斗はいよいよ震えだすので、的がぶれてしまう。
「昶斗! 昶斗は神なんだろ。これくらいのこと、耐えられなくてどうする」
「あ、ああ……」
「思い出せ、真っ暗だった高校時代を。今この瞬間を乗り切れば、青春をやり直せるんだぞ」
険しい表情で試験官の風神が睨みつける中、意を決したように、昶斗がごくんと息を飲んだ。そこへ風神が、意地悪につむじ風を吹かせてきたのだが、それが逆に好都合だった。ふわりと浮いた昶斗の髪の毛のおかげで、軌道を見切ることができたのだ。
「うっ」
昶斗が低いうめき声をあげる。それを合図に、僕はためらいなく矢を放った。
それは一瞬の出来事で、昶斗の頭上でリンゴがパン! と高い音を立てて弾け飛んだ。
風神は腕組みしたまま、高らかに笑った。
「見事だ。初手での成功者は久々に見た。いいものを見せてもらった、合格だ」
「やったね!」
僕が飛び上がって喜んでいると、昶斗は半ば呆然とした表情で、「伊知、すごいな……」とタオルで顔を拭きながらつぶやいた。
「では、最終試験に進んでもらおう」
マッスル風神試験官が鞭をしならせた。すると、白い煙が立ち上って、教室の床が轟き、中央に女神の石像が出現した。僕らが驚いてそれを凝視していると、石像にひびが入り、派手な音を立てて砕け散った。そして、その中から飛び出してきたのは――
「あ、未炁さん!?」
「はーい。ストーリア学園の学園長やってまーす、改めまして、無を司っちゃう未炁でーす。きみたち、よくここまで辿り着いたね!」
「学生じゃなかったのか……」
「驚いた? ごめんね~。でも、試験は学園に来た時から始まってた、ってことで」
「え、じゃあ最終試験って……」
僕はおそるおそる尋ねた。すると、未炁は僕たちを交互に見つめて、
「うん、神さま一年生にベテラン守護天使。なかなかいいバディじゃないかな」
と笑った。
「合格。うん、全然合格! 今日から学園ライフを楽しんじゃってね~」
「わ、本当! 昶斗、やったね、僕たち合格だって!」
しかし、昶斗の表情は硬いままだ。
「……どういう意味だ」
「え?」
「『守護天使』って、伊知が?」
「あー……」
僕は頬をかきながら、ついに昶斗に告げた。
「ずっと隠しててごめん。僕、昶斗を護るためにやってきた天使なんだ。僕ら、ずっと一緒だったろう。それは、この日を迎えるためだったんだよ」
「俺が神で、伊知が天使?」
「そう。だから今日から僕は、昶斗に仕えるひとりとして……」
「――そういうのやめろよ! 確かに俺は神だ。でも、だからって、伊知が俺に『仕える』だなんて、そんなの、寂しいじゃないか」
「昶斗……」
一連のやりとりを聞いていた未炁が、ぽんと手を打った。
「つまり、昶斗は伊知のことが好きなわけねー?」
一気に耳まで真っ赤になる昶斗。どうやら、図星のようだ。……って、え、えええええええっ!?
「で、どうなの。伊知のほうは?」
にやにやしながら未炁が問うてくる。とんでもない学園長だ。
「ぼ、僕はその、立場や身分ってやつがあって……天使が神様に想いを寄せるなんて、とんだ越権行為じゃないかと思ってて……」
「ストーリア学園、学則第一条! 学園に所属する全ての者は身分・経歴等の一切を問わず、好きな者を好きなまま、青春を謳歌すること!」
未炁がその学則を読み上げた途端、昶斗が僕にぎゅっと抱きついてきた。
「わっ、わわっ!」
こうして、神さま一年生の昶斗と僕の、ストーリア学園での新たな青春ライフが始まるのだった。