浩之はその話を聞きながら、半分に切断された蝶を手で弄んでいる。
「どこの御伽噺だよ、って感じ? 面白いじゃない」
影はため息をつく。
「夢の世界に生きる人間って、結構多いんだよ? 自分だけが世界で一番孤独だと思い込んで浸っちゃってる、イタイ、イターイ人って」
「他人をけなすのは趣味じゃないんじゃなかったか」
「けなしてない。評してるだけ」
「言い訳だな」
「そうかもね」
浩之は窓越しに淀んだ川を見つめながら、ぽつりと問いかけた。
「奪うって、どういうことだと思う?」
「なんだ、いきなり」
「奪う者と失う者。世界はどこまでも、どこまでも平等なんだよ」
「それは『死』のことか」
「俺だって、死にたくない」
影は首を傾げた。
「お前がまさか、そんなことを言うとはな」
「ほら、こないだ、奪ったでしょう、『恐怖』を」
「あぁ、あの時の……」
「そ。それ以来ね、なんだか思うんだ。人の死は怖い。悲しい。恐ろしい、って」
影はあきれた表情を隠せなかった。
「お前がそれ言ってどうするんだ」
「まーね。俺のレーゾンデ―トルがおかしくなっちゃう、か」
浩之はため息をついた。しかしそれをすぐに止め、
「ねぇ、中学生みたいなこと、訊いていい?」
「今日は無駄に感傷的だな」
浩之の表情は真剣で、だから影も、それに応えざるを得なかった。
「なんだ、言ってみろ」
「俺ってさ」
浩之は影とは目を合わさない。
「どうして生まれてきたのかな」
「忘れたのか? あらゆる感情を集めるだめだ。そして救うためだ。満たすためだ。それを忘れてどうする―――」
「そうじゃない」
「何?」
「そうじゃない……」
力なく、浩之は繰り返した。
「そうじゃなくて、誰がこんなことを望むのかなって」
『こんなこと』とは、彼の足もとに転がる遺体のことだろう。
「この人にだって、人生があったはずだ」
「お前らしくないぞ」
影が制する。
「お前は、自分に与えられた仕事をしろ。それでいい」
「でも、この人は―――」
「もういいから。後片づけは任せろ」
浩之は押し黙った。影は、聞えよがしにため息をつき、沈黙を引き継いだ。
奪う者がいるということは、失う者がいるということだ。そういう意味では、世界はどこまでも平等だという浩之の見解は、一概に間違っているとは言えない。
つまり、何も失っていない者は、何も得ていないに等しい。
しかし、そんな自覚がなくても人は生きていける。満たされかけているのだと信じて、惰性で生きていける程度の人生なのだろう。それならそれでもいいのだ、本人がどんなに孤独や苦悩を主張しようが、奪うことも失うことも等しいのならば、人は『死ぬまでは生きていける』。
代償とはよく言ったもので、何も払わずに何かを手に入れようとする人間が多いことは、やはり多くの人間が意識下で気づいていることであろう。事象の万引きとでも言おうか。罪には等しく罰が降る。そう言った意味でも、この世界は平等この上ない。しかも、最後には必ず「死」がやってくる。どのように生きようが、死は必ずやってくる。だからこそ、ある種の人々は、生きていく。生きている、のではない。孤独や苦悩と闘いながら、生きていくのである。