「ごめんなさい」
ちょっと気まずそうに言う麻衣子を、真水は快く迎えた。
「謝ることないよ。おかえり」
「……ただいま」
私の帰る場所。歴史ある、と言えば聞こえはいいが、ちょっと古びた精神科病院。またの名を、箱庭。
「工藤さん、いますか?」
麻衣子はそんなことを言った。
「ああ、さっき作業療法から帰ってきたけど、どうして?」
「……なんとなく」
「ああ、そう。デイルームにいるよ」
麻衣子は羊子と六本木で買い物した紙袋を自分の病室へ置いてから、デイルームへ向かった。
「工藤さん」
麻衣子が話しかけると、
「なんですか」
詩集から目を離さずに、征二が返事をした。麻衣子は一呼吸置いてから、
「返してもらえますか」
征二はふと、顔を上げた。
「何をですか」
「蝶。持ってるでしょう」
征二は全く表情を変えない。
「返すというのは、どういう意味ですか」
「あれ、私だから」
「はい?」
麻衣子は少しむっとした。
「知ってるくせに。返してよ」
征二は一向に表情を変えないままだ。
「あれは、ユイにあげるから」
と言ってのけた。麻衣子は手袋を外し、蝶に変化しかけている患部を見せつけ、
「これでも、そんなこというの?」
征二は機械的なくらいに冷たい視線でそれを見やると、
「はい、そうですね」
麻衣子は諦めて、しかし聞こえよがしにため息をついた。当然、征二はそんなものを気にしない。余計に麻衣子は腹立たしかったが、どうすることもできなかった。
このモヤモヤとした気持ちを解消するため、麻衣子は自分の病床に戻ってストレッチを始めようと思った。
日常なんて、こんなもんだ。麻衣子がそう感じて、デイルームの周りを囲っている淡い緑色のカーテンをふと見ると、蝶が一匹、とまっている。
「あれ?」
いつのだろう。左手の痛みは、そういえばここ最近感じていない。
麻衣子が、なんとなく違和感を覚えて右手を見ると、
「あ」
右手の小指の第一関節が無くなっていた。
いつの間に?
麻衣子は努めて平静を装って、近くにいた看護師に声をかけた。
「どうしました?」
「あれ、見て」
「え?」
看護師は、見上げてすぐに息を飲んだ。
「白田先生を呼ぶわね」
「やめて」
「どうして?」
「イミ、無いもん」
「……そうは言っても」
「報告しないと、怒られるから?」
「あのね樋野さん、私は貴方の為を思って――」
看護師が傲慢な一言を放とうとした、その時だ。
「許しなさい」
声を挟んできたのは、征二である。
「少女に責めは似合わない。誰にも彼女を裁ける権利はない」
「工藤さん! 向こうへ行ってて下さい」
「許しなさい」
「わかったから、ね」
ポカンとしてるのは麻衣子だ。
この人、もしかして、助けて、くれた?