「代償は愛であがなう、などと人間は言う。世界を認識した罪を、己の欲求で解消しようとするのだ。死は誰にでも平等だという。しかし生は必ずしもそうではない。生死は一連の現象だ。ならば死すらその訪れは等しくはないのではないか? ロゴスよ、貴殿は暇かね? 俺と言ったらつまらぬ囚われ人だ。恐らくこのまま死ぬだろう」
彼の瞳はどこまでも薄暗い。決して未来など映さない。
「奇跡を願うのは寂寥故か? 終わりを認識した者への罰なのか」
その悲しみの中には、いつも『彼女』がいる。美しくいつまでも変わらない、若かりし彼女の笑顔がある。
そんな彼の手首に穿たれた傷跡を手当てしながら、看護師の高橋美和は話しかけた。
「ねぇ、工藤さん」
「……」
「もうすぐ春ですね」
「春? 目覚めのこと?」
「えっと。季節のです」
「季節。勝手に逝くものたちの群れさ」
「あ、動かないでくださいね、消毒液がハネちゃう」
征二は虚ろな瞳で、美和をまっすぐ見た。
「……君でいい」
「はい、何がですか」
「遺してくれ。そして伝えてくれ」
「何を、ですか?」
「……………」
静かに、確かに、おもむろに、征二の頬を涙が伝う。
美和は一瞬驚いたが、彼の一貫性のない言動はいつものことなので、
「わかりました、私でいいのなら」
そう返事した。
「ちょっと待ってくださいね。メモの準備――――」
「自我と奇跡の両立は生と死の両立に同じく、あり得ない。『お前ら』には等しく奇跡以上の罰を降らせよう」
「え、え、ちょっと待って」
「奇跡は黒蝶の姿をして現れるだろう。少女の願いだけ、贖いはもたらされる」
「じがと、きせきの、両立……?」
美和が首を傾げる間もなく、征二は、ベッドに倒れ込んでしまう。
「工藤さん!?」
「美しいものは、無知なる地球の傷跡。面影橋に、面影橋で、全ては――――眠りを迎える」
征二はそのまま、意識を失った。否、告げるべき予言を終え、その使命を果たした彼の心臓が、静かに動きを止めた。